美しきヤマゴケ
近ごろ、コケはなかなか人気の植物のようで、都会の屋上の緑化に利用されたり、また植物の水もちをよくするためなどに利用されています。
そしてこれは、川内村のヤマゴケです。
近ごろ、コケはなかなか人気の植物のようで、都会の屋上の緑化に利用されたり、また植物の水もちをよくするためなどに利用されています。
そしてこれは、川内村のヤマゴケです。
清流に育つ水草がオオバタネツケバナです。刺し身のツマなどでみなさんの目に触れることも少なくないと思うのですが、このあたりでは意外にその存在は知られていませんし、あんまり食べる人もいないのではないかと思われます。
四国地方では、その名をていれぎなどというようですが、それもまた、このあたりのみなさんには知られていないと思います。
クレソンというとご存知の方は多いと思います。クレソンは別名で、正しくはオランダガラシというんですね。このクレソンよりこちらのオオバタネツケバナの方が香りが強く、生で食べるのが一番おいしいとわたしは思います。
おひたし、生食、天ぷら、炒めものとなんでもござれ。四国松山では、こんな有能な草を大事にしていて、松山が故郷である歌人、かの正岡子規もこんな句を残しています。
秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛
トゲトゲの植物であります。これ、なんだか知ってますか? これを見ただけだとあんまりそそられないかもしれませんが、これがあるだけで命が助かるとなったら、あなたの見る目も変わってくるのではないでしょうか。
昔々、米沢藩9代藩主に、上杉鷹山公(うえすぎようざん)というお方があらせられました。この殿様、公娼を廃止したり「なせばなるなさねばならぬなにごとも」との言葉を残したりした、、後世にその名が残るえらい方なのですが、ウコギもまた、上杉鷹山公によって戦国時代の歴史に名を残すことになります。そうそう、このとげとげは、ウコギです。
ウコギは、春から初夏にでる新芽がおいしく、おひたしや天ぷら、ご飯などにおいしく利用されています。そのウコギが冬を迎えると、こんな姿になるわけですが、上杉鷹山公とウコギの関係は、江戸時代中期の天明の大飢饉の際に築かれます。鷹山は飢饉に向けて数々の改革を進めていったのですか、そのひとつが、家々の生垣をウコギで作らせるというものでした。平時は生垣、飢饉の時にはウコギを食べて飢えをしのごうという作戦です。作戦は見事に当たり、鷹山とウコギは、一躍男とウコギをあげたのでした。
ウコギをはじめ、こういった非常時に頼りになる植物を救荒植物といいます。荒れた時代を救う植物という意味でしょうが、なんだかジャンヌ・ダルクのようなヒーローみたいな響きです。ウコギがヒーローなのかヒロインなのか(念のため、ジャンヌ・ダルクは女の方です)わかりませんが、願わくばウコギのお世話にならずに暮らし続けられることを祈りつつ、万一に備えるのが昔のひとの教えというものなのでありましょう。
葉っぱについたこの物体、いったいなんだとお思いですか?
これ、ぬるでの葉っぱについた虫こぶです。
この虫こぶの中には、アブラムシの卵が入っています。アブラムシは、この虫こぶの中で卵から幼虫となり、すくすくと成長し、幼虫になってから外に出てきます。アブラムシの子どもにとって、なんとも住み心地のいい住処なのです。
この虫こぶの中にいる限り、外敵からは身を守れます。そして虫こぶの中には幼虫になるまでの食料まで保管されています。冬眠といわずなんといいましょう、冬育とでもいうのでしょうか(そんなことばはありません。念のため)。春まで虫こぶで生活するアブラムシ、数ある昆虫の中でも、なかなか賢いヤツだといえるでしょう。
とうとう見つけました。これを見つけたくて苦節200年(うそです。苦節4年くらい)。わたしは大喜びです。
このあたり、見渡す限り、ワラビです。これはなかなか壮観です。
12月7日と8日は、村のお祭りでした。わたしもこの日ばかりは山へ行かずにテントの中でお客さまのご案内です。日曜日は朝から雪が降ってちょっと寒い日となりましたが、川内村に進出してきている企業などが所狭しと出展して、なかなかのにぎわいでした。
日曜日は、ちょっと時間を見つけて、近くを歩いてみました。ほんとは川内優輝選手を置いてけぼりにして健脚ぶりを見せつけたりもしたかったのですが(うそです、ごめんなさい)、わたしが感激したのは、チョコえもんと三宅由佳莉さんでした。
チョコえもんは、宮城県川崎町のゆるきゃらだそうですが、宮城県川崎町といえば支倉常長ゆかりの地でありますが、チョコえもんは川内村のことをテレビで観て、川内村応援のために立ち上がり、役場職員の何名かを引き連れて村までやってきてくれたということです。ちなみになんでチョコえもんなのかといえば、日本人で最初にチョコレートを食べたのが支倉常長だったから、という理由だそうです。支倉常長は伊達政宗の命により、1600年代にヨーロッパをはじめ諸外国に渡った遣欧使節の正使ですから、確かに彼の地で日本人初のチョコレート体験をしたのかもしれません。
三宅由佳莉さんには、久しぶりに正統派の歌声を聞かせていただきました。今回はオーケストラなどはいらっしゃっていなかったのですが、まるでバックにオーケストラがいるような響きの歌声でした。いいものを聞かせていただきました。ありがとうございます。
高塚山の頂上に来てみました。山のてっぺんには、てっぺんを示す目印があります。立派な看板のこともありますが、川内村の山のてっぺんは、ひっそりとしています。足元をよく見るとこれがあります。三角点です。
三角点とは、国土地理院が設置した、地図を作ったり各種の測量の基準となるもので、地籍測量や地殻変動の調査などに使われます。
三角点には、一等から五等までの三角点があります。ちなみに高塚山のてっぺんの三角点は、四等三角点でした。
四等の三角点は2kmおきに設置されていて、石の一辺は12cm。そのものが埋まっているだけではなくて、柱石の下には磐石も埋設されています。まさに磐石の構えです。ただし三角点は、特に山のてっぺんに忠実に立っているわけではないので、三角点の数値がそのまんまその山の標高ではないこともあるんだそうです。
川内村の三角点めぐり、わたしも大いに興味があるのですが、すぐ見つけられるところと、いくら探してもさっぱり見つけられないところがあって、なかなか奥が深いテーマになりそうです。
ちなみに国土地理院が少し前に発表したところによると、一等三角点は日本全国に974ヵ所、二等が5060、三等が32325、四等は70095ヶ所あるということです。
キツツキってのがいます。啄木鳥と書くんですが、啄木鳥と書いてキツツキと読むのは無理があるような気がします。木つつきはなるほどと思える名前だと思いますけど、漢字になると難しいです。
啄木鳥って、石川啄木が発見して自分の名前をつけたのかと思ったのですが、どうもそういうことではなくて、読んで字のごとく「木を啄む(ついばむ)鳥」なんだそうです。だったら啄木鳥ではなくて木啄鳥と書いたらよさそうなものですけど、いやいや、昔の人が決めたことですから、すなおにそう思うことにいたします。
さて、キツツキの話をしましたが、キツツキの姿を写真に撮ってこれたわけではありません。鳥ってやつは、見つけてカメラを構えている間に、もうどっかに飛んでってしまうか、物陰に姿を隠してしまう。逃げ隠れが上手なやつです。
でも、キツツキがお食事をしたあととか、キツツキのお食事中の音を聞くのは、山を歩いているとわりとよくあります。コンコンコンコン!と、初めて聞く人はちょっとびっくりするみたいですけど、キツツキが木をつついている音です。
なんで木をつつくのかって? キツツキはちょっと腐りかけた木を見つけるのがとても上手です。そして木の中に巣くっている虫を食べるんですね。虫にしたら、突然空襲に襲われて機銃掃射されたような気分かもしれませんが、これもまた、自然界の運命というやつです。
ちなみに石川啄木とキツツキについては、こんな考察を見つけました。NHK盛岡放送局のサイトです。なかなかおもしろいことが書いてあります。
上川内続滝の近くで見つけた看板です。自然のものが好きなわたしですが、これはまずまちがいなく人間が立てたものだと思われます。そしてわたしは、こういうものにも惹かれてしまうのです。
看板ですから、わたしが解説するより写真を見ていただいたほうが早いのですが、一目瞭然、ここが標高634メートルだと主張する看板です。このあたりでは、今道路の拡張工事をやっていて、そのとき入った測量士の方に標高の情報をもらった人の仕事なのかもしれません。
それにしても、このあたりで標高0メートルといえば、富岡あたりまで降りて、問題となっている福島第一原発の崖からさらに10メートル下ったところの海になるわけですけれど、東京スカイツリーといったら、あの海からここまでの高さまでタワーになっているということで、すごいことですねぇ。ちなみに川内村役場のあたりには第一展望台がある高さになるようです。
ここは川内村から郡山方面へ向かうルートだったりするのですが、大滝根の頂上から常葉に向かって降りるのがいろは坂並の急カーブの連続になっています。ここにトンネルができればうんと便利になるというのは、地元民みんなの願いです。この看板には、ささやかな希望がこめられているようです。
QRコードがついていたので、連絡先かと思ったら、この場所の緯度と経度が書き込まれていました。北緯37.384495317486454度、東経140.72624534368515度です。