あと5日で太平洋戦争終戦という、昭和20年(1945年)8月10日、
川内村上川内にB29爆撃機が襲来し、焼夷弾を落とした。
(さらに…)
上川内町分地区23戸中、19戸が焼失し、3人が死亡、被爆で怪我した人が2人という
痛ましいことがあった所に石碑が立っています。
あと5日で太平洋戦争終戦という、昭和20年(1945年)8月10日、
川内村上川内にB29爆撃機が襲来し、焼夷弾を落とした。
(さらに…)
上川内町分地区23戸中、19戸が焼失し、3人が死亡、被爆で怪我した人が2人という
痛ましいことがあった所に石碑が立っています。
家具屋さんに行くと、材質のところに「パイン材」って
書いてあるの、見たことあります?
松の木のことなんです。
外国の松の木なんです。
パインナップルは、この松の実に似ていたので付けられた名なんです。
この写真は、リスが食べたあとなんです。
上川内字遠上(とうがみ)にある、国見太子堂境内に、
松尾芭蕉の句碑があります。
「志ばらくは 花の上なる 月夜かな」
(さらに…)
これは、上川内字国見の渡辺某なる人が、芭蕉に恋焦がれ、
句碑を明治時代にたてたもので、残念ながら川内に芭蕉は立ち寄っていませんでした。
「とうがみ」と読みます。
今回は地名のことをお話ししたいと思います。
(さらに…)
その時の単位は、現在も使われている。
例えば、10畝(せ)=1反(たん)・・・1,000㎡
10反(たん)=1町歩(ちょうぶ)・・・10,000㎡
なんともすごいなぁ!2014年の現在も使われているとは・・・。
その時に、土地住所の名前を付けたと思われる。
そこでここの場合は、上川内村の奥にあるので遠い上川内、
省略して「遠上」となったと思う。
常緑の多年草で、日本特産。
葉はセリに似ている。
黄連(オウレン)という生薬で整腸、結膜炎、下痢等に使われます。
供養塔に、道案内がついています。まさに一石二鳥の供養塔です。
石に彫られている五社というのは、昭和10年代まで、田村郡はもとより双葉郡内からも参拝者がいておおいににぎわっていたという五社八幡神社のことです。五社八幡神社は五社山の山頂近くにあって、五社山へは下川内側からと上川内側と、2本の登山道があります。この道標は、上川内側の登山道の入り口にあるものです。
圧倒的多くのひとは下川内側から登山をされるのですが、立派な道標が建っているところを見ると、こちらからの登山道も、おそらくかつてはにぎわいを見せていたことだと思います。
この牛馬供養塔の建立は大正7年9月となっています。川内村へは炭の買い付けにやってきた人が多いと聞きますが、五社八幡神社参拝を目指す方々も少なくなかったのかもしれません。
道標には「よいまち」と読めますが、これはにいまちです。現田村郡小野町のことです。現在ではJR磐越東線に、小野新町という名前が残っています。
外国材の木に、パインという種類があります。パインとは松のことです。パインと聞いてパイナップルを思い浮かべた人、惜しい! パインとパイナップルには実は微妙な過去があるんです。
パインとは松の木のことで、その実は松ぼっくりです。リスの大好物で、一方、外国では人間様も好んで食べます。最近では、日本でもこの実をよく売っています。脂っこくておいしいんです。
パイナップルは、その実が発見されたときに、実の姿がまるで巨大な松ぼっくりであるかのように見えたため、松の果実という意味でパイン・アップル(この場合、アップルとはリンゴでなくて果実を意味します)と呼ばれたのがパイナップルという名の始まりということです。なのでパインとパイナップルは血のつながった親戚ではないけれど、赤の他人でもないぞ、という関係です。
パイナップルが好きな人もそうでない人も、次は松ぼっくりも食べてみてくださいね。