高塚ボッケ動画アップしました。
5月18日の高塚ボッケの様子をYoutubeにアップしました。
ご覧ください。
村の迷・里山博士、秋元はつおが川内村を探検します。世界的にも珍しいもの(ほんとか?)、川内村ならではのほっこり名所、いろいろあります。今後も増えます。はつおさんに、案内してもらいましょう!
5月18日の高塚ボッケの様子をYoutubeにアップしました。
ご覧ください。
はつおが行く!は終了してしまいましたが、観光協会のYOUTUBEは続行します。
そこで、「はつおが行く!」の内容とは異なりますが、はつおさん関連と言うことで、これからは動画の情報をお知らせしたいと思います。
ページタイトルは「はつおが行く!」のまま変更はありません。
今回は川内村観光協会youtubeに先にアップされた動画に、音楽をつけて再アップしたことをお知らせします。
再アップしたのは「渓谷シリーズ」「川内の湯」「いわなの郷」「天山文庫」だけですが、これからすべての動画に音楽を付けて再アップしていきます。
動画の内容に変更はありませんが、音楽があると雰囲気も変わって見えます。
ぜひ、もう一度再アップされた動画をご覧ください。動画タイトルの語尾に再アップとあります。それ以外の動画は今後徐々に再アップします。
音楽は4パターンあります。いずれもオリジナルで作った音楽です。動画と共に音楽も楽しんでいただきたいと思います。
よろしくお願いします。
はつおが行くを今まで、494シリーズ(話)を載せて、川内村の観光資源探しをし、その場所に名前を付けて皆様に見ていただいておりますが、こないだ、仙台市を歩いてましたら「初夫さん」と後ろの方で声がするんです。まさか、僕のことじゃないと思って歩いていたら、また「初夫さん」と振り向いたら、知らない人、歩き始めようとしたら「はつおが行く」見てるよ。と。その方が言うには、私が昭和61年に仕掛けた「キノコまつり」に来たことあるとか。また、先日、川内村の資源回収所に段ボールを入れていたら
年配の男性に「初夫さん」と声をかけられました。聞いて見ると、川内村にIターンした方で、はつおが行く、見てると、嬉しくなってしまいました。鹿児島県の甑島の方も見てるとか、ありがとうございます。最近はつおが行く、を見始めた方に色んなジャンルの総集編は出来ませんが、494話のほんの一部、恋路渓谷(はつお命名)、かえる渓谷の総集編を見て頂きたいと思います。
ここは、箱庭風景とつけました。奈良や京都の寺院にある「築山(つきやま)」にそっくり。
福島県重要無形文化財に指定されている、川内村の3匹獅子舞があるんですがその、獅子頭の耳の所に、朱書で延宝3年8月、秋元宇右エ門、遠藤惣右エ門、御頭寄進とあり、1675年には、すでに秋元氏が川内村に住んでいたことがわかりました。
福島県川内村で同じ姓で多い順から猪狩氏(100戸)、秋元氏(90戸)遠藤氏(50戸)となります。初夫、ルーツを探して、うん10年、おぼろげながらわかってきました。おじいさん、おばあさんは、わかるんだけどその上の代の名前、生年月日、没年月日?から始まりました。あちこち、の親類に足をはこんで聞いてまわりました。それから、役場に行って、戸籍謄本、改正原戸籍(かいせいはらこせき)、除籍謄本(じょせきとうほん)とってみました。
村内の古老や秋元氏のお宅訪問、そして、秋元氏を名乗る人々、県内外のどこ?に。いわき市勿来町に50戸、いわき市川前町2戸、田村市大越町14戸、耶麻郡北塩原村・・・・・・。富山県砺波市、愛媛県今治市、岩手県陸中海岸海岸沿いの各地、青森県津軽地方、・・・・・・。今から、数100年前、ファックスも電話もない時代、もしも、家紋が同じなら、一族の可能性が大であること。
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そしたら、田村市大越町の秋元氏の家紋が違うことが解りました。私の家(川内村の秋元)の家紋はウリ紋(キュウリ)です。今はやってない、水戸黄門の番組に出てくる、秋元但馬守と家紋が同じ。そこで、図書館と言う図書館、いきました。手がかり求めて、もちろん、国立国会図書館も何度もいきました。そこに、本家は秋元氏だけど、秋本氏に明治の始めにしました。と言う本が寄贈されているのを見つけました。
その本を出した人は栃木県宇都宮市の方です。
わが、同族のゆかりの地、千葉県君津市秋元に行って来ました。小学校も秋元です。
川内村村づくり大学と言うのがあるんですが、そこで、1月と2月に講師を頼まれ、川内の歴史 、猪狩氏、遠藤氏のことを話しました。秋元氏のことを、今月21日に話をする予定でしたが、どうしても出ることが出来ない要件あったんで、はつおが行くで紹介をしました。いつも、たくさんの方にみていただきありがとうございます。
今から、434年前すなわち1581年、豊臣秀吉は天下統一し、年貢(今で言う税金)を取るために、土地の面積の測量を始めました。それを太閤検知と呼んでいます。太閤検知をする前は、各地の豪族や領主が面積の考え方、まちまちで、しかも2重に(2人の領主から)取られたりがありました。それを統一しました。最小の単位が、一歩(一坪、3・3㎡)、一畝は一歩が30集まったもの
(30坪)、一畝が10で一反(300坪900㎡)、一反が10集まると一町(3000坪9900㎡)と決めました。それが今でも使われている(1950年頃からは、西欧の単位の㎡が使われています)なんてすごいよね。わが川内村にあってもその昔、検知がありました。そのために、土地に名前をつける必要がありました。新助と言う人が住んでいる山だから新助山、鷹の巣があったので鷹の巣と言う地名(上川内にあります)、さて、写真の話しです。まわりは原野でここから、田んぼ始まるので、田の入口、そして、田ノ入と言う地名にしたわけです。じゃ、田ノ入って地名、他にもあるか調べたらあったべした。宮城県の丸森町、福島県いわき市小名浜、長野県池田町、福島県伊達市、福島県田村市常葉町などに田ノ入と言う地名が。
山蜂、和蜂、日本ミツバチなどいろいろな呼び名で呼ばれ、古来より日本の山の「ぼんけ」(木の穴)に住んでいるミツバチを春の分蜂(こわかれ)の時期にトラップで捕まえて7年になる、ミツバチ愛好家の私、初夫の巣箱で、女王バチが赤ちゃんを産み始めました。その幼虫のエサになるのが、ビタミンやミネラルが豊富でパーフェクト フードと呼ばれる、花粉なんです。働きバチが花粉を丸めて団子にしたのを両脇に抱えて巣に運び入れているのわかります?黄色に見えますのが花粉です。マンサクの花の花粉でしょうか?初夫、顔見たくて、見たくて!
冬の寒さの中、冬眠しないで、春が来るのを、ためこんだ蜂蜜をなめながら過ごすんです。ミツバチの世界は人間社会にそっくり!巣の入口付近にいて、敵の侵入を防ぐ門番ミツバチ、花粉集めをする係のハチ、密を集めるハチ、女王の世話をする係、・・・・・・。分業体制なんです。すごいよね。