川内村観光協会

一町(ちょう)一反(たん)一畝(せ)一歩(ぶ)って知ってる?

1町一反一畝一歩
 今から、434年前すなわち1581年、豊臣秀吉は天下統一し、年貢(今で言う税金)を取るために、土地の面積の測量を始めました。それを太閤検知と呼んでいます。太閤検知をする前は、各地の豪族や領主が面積の考え方、まちまちで、しかも2重に(2人の領主から)取られたりがありました。それを統一しました。最小の単位が、一歩(一坪、3・3㎡)、一畝は一歩が30集まったもの
(30坪)、一畝が10で一反(300坪900㎡)、一反が10集まると一町(3000坪9900㎡)と決めました。それが今でも使われている(1950年頃からは、西欧の単位の㎡が使われています)なんてすごいよね。わが川内村にあってもその昔、検知がありました。そのために、土地に名前をつける必要がありました。新助と言う人が住んでいる山だから新助山、鷹の巣があったので鷹の巣と言う地名(上川内にあります)、さて、写真の話しです。まわりは原野でここから、田んぼ始まるので、田の入口、そして、田ノ入と言う地名にしたわけです。じゃ、田ノ入って地名、他にもあるか調べたらあったべした。宮城県の丸森町、福島県いわき市小名浜、長野県池田町、福島県伊達市、福島県田村市常葉町などに田ノ入と言う地名が。

 

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