川内村観光協会

アズマヒキガエル

1405ゲロロ

よく、皆さんガマガエルというカエルなんですけど、
詳しくは「アズマヒキガエル」って言うんです。

4月~5月が産卵期で、よく2匹(オスとメス)が一緒にいて、
ガア、ガア、ゲロとよく鳴いているので、よくアズマヒキガエルというのがわかる。

爆心地

1405爆風スランプ

あと5日で太平洋戦争終戦という、昭和20年(1945年)8月10日、
川内村上川内にB29爆撃機が襲来し、焼夷弾を落とした。
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そしてB29から機銃掃射しました。

上川内町分地区23戸中、19戸が焼失し、3人が死亡、被爆で怪我した人が2人という
痛ましいことがあった所に石碑が立っています。

ぐるぐる矢車草

1305矢車草

深山の渓谷などによく生えている草で、葉柄50cm、花茎の高さ1mほどにもなる大きな葉です。矢車草の名前の由来は、葉の形を見れば一目瞭然、ですね。

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葉っぱの形、五月の節句にも使われる矢車に似ていますね。花びらはなくて、がくが花のように白く見えます。日本庭園にも使われる草で、野草愛好家の間では、鉢植えにして鑑賞されるお値打ちものです。野草店でも必ずといっていいほど売られていますね。
川内村の矢車草は売り物でもお土産品でもないので、お持ち帰りにならないよう、お願いいたします。

1305矢車草

川内村のヘリポート

1402ヘリポート

川内村には、ヘリポートがあります。村役場のすぐ後ろ側。コミュニティセンターと体育館のすぐ横に広がった、一見芝生の広場が、ヘリポートです。

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ここに飛んでくるのは、消防防災ヘリコプター「ふくしま」です。県内全域を活動エリアとして、上空からの消火や救急、救助などの消防防災活動を行うために、平成10年2月に導入されました。
めったに飛んでくるものではないし、ここからヘリが離発着するのはただならぬときがあったときですから、ただ芝生が広がっているだけの方が平和なのですが、万一の際の安心という点で、川内村の、いわば命綱です。実は我が村長も、このヘリコプターに救われたことがあります。
芝生敷きになっているのは、楽しいピクニックをするためではなく、ヘリが離発着する際には、プロペラの風を受けても土ぼこりが起きにくいように、ということです。

酒樽の天山文庫

1305天山文庫

川内村には、かわうち草野心平記念館があって、詩人の草野心平が愛した天山文庫があります。晩年の心平先生は、ここに足しげく通い、詩を書き、庭の池のコイをかわいがり、季節を眺めていたものでしたが、ここに、こんな書庫があります。おもしろいかたちをしていますが、これは実は酒樽であります。

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草野心平先生が川内村の名誉村民となったのは1960年のことですが、このとき村は、名誉村民となった心平先生に木炭100俵を贈っています。この木炭は心平先生にはもてあますものだったのですが、心平先生はこの礼として、ご自身の蔵書3000冊を村に寄贈することにしたということです。
東京にお住まいの心平先生にとって木炭100俵もたいへんな量でしたが、村としても3000冊の貴重な蔵書もまたたいへんなもので、保管場所を何とかしなければいけないということで始まったのが、文庫建設の話です。
天山文庫の設計は日本建築の権威の山本勝巳氏でした。山本勝巳さんは俳優山本學、山本圭、山本亘兄弟の父で、天山文庫の他、美ヶ原高原ホテルや会津武家屋敷日新館の設計も手がけられました建築家で、独立以前は大林組にお勤めだったということですが、今、除染で川内村を拠点にしているのが大林組ですから、ご縁は不思議なものです。
天山文庫は、やがて村民が一木一草を持ち寄って、労働を奉仕してできあがりました。
文庫設立にあたっては、心平先生の友人が設立発起人として名を連ねていますが、そこには井上靖、金子光晴、唐木順三、河上徹太郎、川端康成、小林勇、高村豊周、武田奉淳、谷川徹三、武者小路実篤、林野四郎、、山本健吉らのそうそうたる名前が並んでいます。
この天山文庫に少し離れて、この不思議な建物が建っています。これは亨保3年(1717年)創業の老舗日本酒メーカー「花春」さんが寄贈してくれたもので、酒樽であります。心平先生より寄贈された本のうちの一部が、こちらに収められているのですが、お酒の好きだった心平先生の天山文庫らしいエピソードだと思います。

高塚高原

1305高塚高原

川内村でもっとも高い一帯をご案内します。それは同時に、あぶくま山系の最高峰の一帯でもあります。では、高塚高原へ、ようこそ。

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高塚高原は、川内村第二の高山、高塚山を中心とした高原地帯です。あぶくま山系の最高峰は大滝根山で標高は1,192メートルです。大滝根山は川内村と田村市滝根にまたがっていて、この山麓、川内村側に標高1,066メートルの高塚山があります。
村の花となっているサラサドウダンツツジやシロヤシオなど、高山植物の大群落のある、川内村きっての観光地でもあります。
このエリア、まだ本格的な除染がおこなわれていないため、高塚山キャンプ場もオープンとなっていませんが、立ち入りが制限されているものではありません。線量も0.5μSv/hと、一時に比べるとぐんと低くなっています。

1305高塚高原

高塚高原には、いくつか見どころがあります。6月のいい季節には、サラサドウダンが咲き乱れる散策道、その先にどんと控えるペラペラ石、そして駐車場の反対側の高塚山頂上への登山道となります。
高塚山頂上(地図では高塚ボッケと書かれています)は駐車場からほんの5分ほど登山道を歩けば到着します。高塚ボッケからは、眼下に風力発電のプロペラ群を見ることができるほか、天気のいい日には、遠く太平洋を望むこともできます(沿岸の原子力発電所は山に隠れて見えません)。
高塚ボッケは放射線量が0.4μSv/hと、標高が低い駐車場よりさらに低くなっています。反対にぺらぺら石方向は、少し高め。意外にも、林の中の途中の道の一部に、1.0μSv/hほどあるところがあります。
村としては、まだまだおいでくださいといえるような環境ではないと思いますが、目に見えない線量以外はもとと同じような、美しい環境が広がっているのです。

1305高塚高原

考える知ろう館?

1305感がえる知ろう館

こんな資料館ができています。資料館ではなくて知ろう館なんですって。
原発事故以降の書類や書籍などを見ることができます。事故以前の村の風景も写真で眺めることができるようになっています。
無料です。いつでも見られるんですが、不在とかもあるということなんで、連絡してもらうとうれしいな、ということでした。
090-6149-0402(西巻)まで電話してみてください。
なかなか不思議な空間です。

キツツキのお仕事

1305キツツキの仕事

キツツキってのがいます。啄木鳥と書くんですが、啄木鳥と書いてキツツキと読むのは無理があるような気がします。木つつきはなるほどと思える名前だと思いますけど、漢字になると難しいです。

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啄木鳥って、石川啄木が発見して自分の名前をつけたのかと思ったのですが、どうもそういうことではなくて、読んで字のごとく「木を啄む(ついばむ)鳥」なんだそうです。だったら啄木鳥ではなくて木啄鳥と書いたらよさそうなものですけど、いやいや、昔の人が決めたことですから、すなおにそう思うことにいたします。
さて、キツツキの話をしましたが、キツツキの姿を写真に撮ってこれたわけではありません。鳥ってやつは、見つけてカメラを構えている間に、もうどっかに飛んでってしまうか、物陰に姿を隠してしまう。逃げ隠れが上手なやつです。
でも、キツツキがお食事をしたあととか、キツツキのお食事中の音を聞くのは、山を歩いているとわりとよくあります。コンコンコンコン!と、初めて聞く人はちょっとびっくりするみたいですけど、キツツキが木をつついている音です。
なんで木をつつくのかって? キツツキはちょっと腐りかけた木を見つけるのがとても上手です。そして木の中に巣くっている虫を食べるんですね。虫にしたら、突然空襲に襲われて機銃掃射されたような気分かもしれませんが、これもまた、自然界の運命というやつです。
ちなみに石川啄木とキツツキについては、こんな考察を見つけました。NHK盛岡放送局のサイトです。なかなかおもしろいことが書いてあります。

「ニュースのはてな(平成25年4月30日(火)放送)」