こんな不思議な岩がありました。長城岩とはわたしの命名ですが、いったいこの岩、誰が、どうやって積み上げたのでしょうね。
長城岩
もずのはやにえ
とうとう見つけました。これを見つけたくて苦節200年(うそです。苦節4年くらい)。わたしは大喜びです。
ドンドン感激の一日
12月7日と8日は、村のお祭りでした。わたしもこの日ばかりは山へ行かずにテントの中でお客さまのご案内です。日曜日は朝から雪が降ってちょっと寒い日となりましたが、川内村に進出してきている企業などが所狭しと出展して、なかなかのにぎわいでした。
日曜日は、ちょっと時間を見つけて、近くを歩いてみました。ほんとは川内優輝選手を置いてけぼりにして健脚ぶりを見せつけたりもしたかったのですが(うそです、ごめんなさい)、わたしが感激したのは、チョコえもんと三宅由佳莉さんでした。
チョコえもんは、宮城県川崎町のゆるきゃらだそうですが、宮城県川崎町といえば支倉常長ゆかりの地でありますが、チョコえもんは川内村のことをテレビで観て、川内村応援のために立ち上がり、役場職員の何名かを引き連れて村までやってきてくれたということです。ちなみになんでチョコえもんなのかといえば、日本人で最初にチョコレートを食べたのが支倉常長だったから、という理由だそうです。支倉常長は伊達政宗の命により、1600年代にヨーロッパをはじめ諸外国に渡った遣欧使節の正使ですから、確かに彼の地で日本人初のチョコレート体験をしたのかもしれません。
三宅由佳莉さんには、久しぶりに正統派の歌声を聞かせていただきました。今回はオーケストラなどはいらっしゃっていなかったのですが、まるでバックにオーケストラがいるような響きの歌声でした。いいものを聞かせていただきました。ありがとうございます。
ドンドン村づくり、やりました
12月7日、8日の2日間、川内村村民体育センターで「かわうちドンドン村づくり」というイベントが開催されました。
川内村の元祖ゆるキャラ、カエルのモリタロウくんをはじめ、全国から集まったゆるキャラ軍団が勢ぞろい。昔ながらの遊びを楽しんだり、そして川内優輝、三宅由佳莉のスペシャルゲストとのふれあいなど、寒さを吹き飛ばす2日間を過ごすことができました。
こちら、全国ゆるキャラのみなさん。一番左手で笑顔を振りまくのが川内村のモリタロウくんですが、お隣は、どうしてこれがゆるキャラなのか、北海道は夕張市からやってきたメロン熊くん。そのお隣が栃木県佐野市のさのまるくん。茨城県土浦市のつちまるくん、青森県六戸町のメイプルくん。そして宮城県川崎町からやってきたチョコえもんくん。個性さまざまなゆるキャラたちです。たぶんゆるキャラ歴でいえば、モリタロウくんがもっとも先輩かもしれません。
こちらは海上自衛隊東京音楽隊の歌姫、三宅由佳莉さん。素晴らしい歌声を披露いただきました。お忙しい中、お休みなのに来ていただいたということで、ありがたい限りです。
こちらは川内優輝選手。マラソンのトップ選手ですが、埼玉県庁のジャージとともに川内村に現れた好青年。村役場から五社の森サポートセンターまでの1.5kmコースが、川内優輝ロードと名付けられ、ここを川内選手とともにみんなが走りました。小さな子どもはヘリポートを2周の200m、小中学生女子の部は1km、一般の部は五社の森サポートセンターまでの往復3km。川内選手のスピードも垣間見せてもらうことができました。
こちら、3kmコースのスタート風景。走るゆるキャラを演じているのは、フラダンスを披露した川内村の精鋭女史のみなさんです。
サルトリイバラ
下川内の五社山八幡神社に登ってきました。参道で見つけたのがこちらです。サルトリイバラと申します。サルトビサスケではございません。
ごらんのように、とげがいっぱいある植物です。おそらく、このとげには、人も鳥もサルもひっかかって、悩まされたことでしょう。その名前は、そのときの悪い思い出があるサルがつけたのにちがいありません。
その一方、サルトリイバラは花屋さんでよく見る植物でもあります。この季節、サルトリイバラは赤い実をつけますから、それを生花とかドライフラワーに使うんですね。
直売所で売っているのを見たり、会社の受付に飾ってあったり、とってもステキな色合いです。
このバラ、別名をサンキライといいます。サンキライという名前のほうが、きれいなお花の好きな人にはよく知られているかもしれません。漢字で書くと「山帰来」です。山嫌いじゃないですからね。サンキライ、いい名前だと思います。
634メートル
上川内続滝の近くで見つけた看板です。自然のものが好きなわたしですが、これはまずまちがいなく人間が立てたものだと思われます。そしてわたしは、こういうものにも惹かれてしまうのです。
看板ですから、わたしが解説するより写真を見ていただいたほうが早いのですが、一目瞭然、ここが標高634メートルだと主張する看板です。このあたりでは、今道路の拡張工事をやっていて、そのとき入った測量士の方に標高の情報をもらった人の仕事なのかもしれません。
それにしても、このあたりで標高0メートルといえば、富岡あたりまで降りて、問題となっている福島第一原発の崖からさらに10メートル下ったところの海になるわけですけれど、東京スカイツリーといったら、あの海からここまでの高さまでタワーになっているということで、すごいことですねぇ。ちなみに川内村役場のあたりには第一展望台がある高さになるようです。
ここは川内村から郡山方面へ向かうルートだったりするのですが、大滝根の頂上から常葉に向かって降りるのがいろは坂並の急カーブの連続になっています。ここにトンネルができればうんと便利になるというのは、地元民みんなの願いです。この看板には、ささやかな希望がこめられているようです。
QRコードがついていたので、連絡先かと思ったら、この場所の緯度と経度が書き込まれていました。北緯37.384495317486454度、東経140.72624534368515度です。
どこまで続く続滝
続滝橋という橋をご紹介しましたが、滝というからには滝があるんでございます。本日は、橋ではなくて滝のお話。川内村の北西に位置する第一区行政区、村の人はこのあたりを高田島といいます。その、さらに大滝根山に近い、まさに村の端っこに位置します。
続滝というのは住居地名にもなっていますが、その名を見てこれはと思ったらやっぱり。続滝はひとつではなくて、いくつもの滝が連なっていました。
よく知られている続滝は3段の滝になっていますが、実はその上流に、もうふたつ滝がありました。どちらも三重。語呂あわせとしては、なかなか手がこんでいます。
標高差はほとんどないので、昔はよくここで水遊びをして遊んだといいます。いまでも暑い日に清流と戯れれば、なかなか気持ちがよさそうです。
滝に降りる道とかが荒れ果ててなくなってしまっているとか、ごみがそのまんま散乱しているとか、少々残念なところもありますが、3つのどの滝も巨大な一枚岩盤でできていまして、なかなかの圧巻なのです。
救いの神のリョウブの実
リョウブといいます。そんなに珍しい草木ではないようですが、これがばかにしてはいけません。いよいよになったら、リョウブに助けてもらって生きながらえるのです。
リョウブの木は、肌がきれいです。なので皮をむかずに、そのまま床の間に飾られたりもします。床の間に飾っても長生きできるわけではないと思いますが、リョウブがありがたいのはここからです。
リョウブの若葉は山菜として食べられるものですが、昔々、まだひとびとが貧しかったころ、不幸にして飢饉などに襲われると、みな、このリョウブを食べて飢えをしのいだものなのでした。
救荒植物というんですが、特急や急行ではなくて救荒です。生活のすべてが鈍行だった時代は、貧しかったけれども、豊かな知恵があふれていたようにも思います。
端の橋? 続滝橋
川内村の北側には田村市都路(旧都路村)が広がっていますが、目をさらにして地図を見ると、どうやら川内村最北端の端は、田村市常葉に面した大滝根山の麓にあるようです。本日は、川内村最北端の橋を見てまいりました。
続滝橋と書いて、つづきがたきはしと読むのかつづきたきばしと読むのか、さて? 橋には「つづきたきはし」と掘ってありますが、地元の人に聞いても、どっちでもいいんじゃないか、なんて言いながら、でもつづきがたきと言っている人のほうが多いような気がします。
よく見ると、橋の字がちょっとちがいますね。なべぶたに口ではなくて、なべぶたの下にはしごがかかっている。古い字なのかと思ったら、異字体というそうです。わたしたちが知っている橋の字と、双子の兄弟みたいな字なんでしょうか。
この橋、さらに地元の人に聞くと、なんでも「がんたら橋」というそうです。なんでがんたら橋なのかはさっぱりわかりません。この橋を通過するとき、クルマや馬車ががったんがったんと音を立てたからだという人がいましたが、ほんとうかなぁ。