紫色と黄色があるケマンは、
仏殿のらんまなどの装飾具に似ているのでこの名が付けられたんです。
谷沿いなどに生きるケシ科の植物です。
シデとモミにからまっているじゃまっけそうな木の枝みたいなもの、このからまっている木が、なにあろう、フジの木です。芸術的なからまり方だと思いませんか。
早春のワラビ山はこんな感じです。どこにワラビがひそんでいるか、わかりますか?
実はワラビだらけです。ただの枯れ草ですから、今は食べられる状態ではありません。ワラビの食べごろは春から初夏にかけてです。でも夏になるとまわりの草がえらい勢いで育ってきて、どこにワラビがあるのかさっぱりわからなくなります。山菜の収穫は、慣れない人にはなかなかたいへんなものですね。
さてでは、とっておきの方法をお教えしましょう。今の季節に、野山を歩いてワラビの出るところを調べておきます。それでワラビの場所をしっかり覚えておけば、4月下旬以降にまわりの草がたくさん出てきても、ワラビを簡単に見つけることができます。
ワラビ、ゼンマイは多年草なので、毎年同じ場所に出てきますので、一度場所を覚えてしまえば、翌年以降は難なく収穫できるようになります。
どこに出ているのかは教えてあげません。そこはお約束です。では、ご幸運を。
春一番に咲くマンサク。
マンサクが咲き始めました。川内村にも春がやってきました。
下川内貝の坂地区は、福島第一原発20km圏内にあって、いまだに人が帰ることができません。でも近い将来の帰還に備え、さらにはこの地域全体の先がけとなって、山林の除染の実験が行われています。
いま、川内村に馬の姿はありません。でもかつて、川内村と馬は、切っても切れない関係にあったようです。そんな名残が、村のあちこちにある観音様になって、残っています。
江戸時代、延亨4年(1747年)、領主に提出した資料があります。それによると、上川内村には192戸があり、人間が972人、馬が358頭となっています。同じく下川内村は205戸、人数1,047人、馬が342頭となっています。馬と人が、同じように届けるべきものだったわけですね。
馬は江戸時代には農耕馬として、そして明治以降は軍馬として大事にされ、川内村はその生産基地として名をはせたのでした。
そんな大事な馬が不慮の死をとげたり、あるいは自分の家で家族のように暮らした大切な馬が死んでしまったときなど、供養のために立てられたのが馬頭観音、馬頭観世音です。
下川内字原にあるこの馬頭世音は、すでに摩耗していて年代もわかりません。江戸時代か明治時代のものか、さて? どなたが作ったのかもわかりません。でもここには、石塔の隣に、こんなふうにかわいい馬がいます。誰がいつ作ったものか、知りたいところですね。
ちなみに馬産地川内には108基の馬頭尊の石塔があります。
赤い冬芽が、雪の季節に映えています。色のない季節に、こんな赤い冬芽を見るのは、それだけでうれしい感じがします。
雪が降ったり凍りついたりと、あいかわらず寒い日が続く川内村ですが、それでも春はわが川内村に、一歩一歩近づいてきています。春を告げるフクジュソウが咲いているのを発見です。川内村にひと足早い春。わくわくしてしまいます。
川内村の南の山に、木戸川第一発電所があります。東北電力の水力発電所です。
しかしどうでしょう。この眺め! 美しい河川の流れを見ながら、わたしとデートしませんか? いやいや、下心あってのご提案ではありません。散策です、散策!
この周辺では、原生林のある場所でもあり、春の芽吹き、秋の紅葉が美しく、また、こよう、となることうけあいです(拍手するところです。紅葉とこようをひっかけてみました)。
また近くには、樹齢たっぷりの大木も多く残っています。そしてまた、なんとかつて、このへんを走っていた森林鉄道の跡も、わずかながら見ることができるのです。
なんとも魅力のあるエリアなのですが、未開拓、未整備ですから、なかなか皆さんをお連れすることができない、川内村の秘境の地なのであります。