川内村観光協会

ゼンマイの芽吹き

1304ゼンマイ

これは川ゼンマイと呼ばれるゼンマイです。下川内の木戸川第一発電所の近くで見つけたゼンマイの芽吹きをご紹介します。

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ゼンマイは、川沿いの大きな岩に出てくるタイプと、山の斜面に出るタイプとがあります。川沿いの岩に出るのを、川ゼンマイなどというのです。
最初の写真は、芽吹いた頃のゼンマイです。下の二枚目の写真は、みなさんよくご存知のゼンマイの姿ですが、これは芽吹く前の姿で、つまりゼンマイは芽吹く前に食べるもの、なのです。
山奥に山菜取りに行けない人たちが、よく大きな河川の岩を渡り歩いて川ゼンマイをとろうなどというのはたいへん危険な収穫作業になります。ゼンマイ取りにはくれぐれもご用心を。

1304ゼンマイ

金銀花またの名を

1402金銀花

オリンピックの興奮さめやらぬ昨今でありますが、この植物は和名をスイカズラといい、金銀花とも呼ばれます。金メダル銀メダルの話題でにぎわっているからこの花があるのではありません。この花、わたしは美しく、また神々しいと思うのであります。

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この花は、別名を忍冬といいます。読み方は「にんどう」。冬を忍ぶ、そのままの、いい名前だと思います。この植物は5月から7月に花をつける常緑のツル植物なのですが、ツルは枯れないで冬の寒さに耐え、春に美しい花を咲かせます。
またこの植物は、古来より漢方薬として利用されていて、解熱、解毒、殺菌などを効能として売られてもいます。
金銀花という名前は、春になると白と金色花が咲くことからついた名前です。金銀貨と勘違いして喜んでいた人がいましたが、世の中、銭金に一喜一憂してはいけません。金がなくても、寒い冬を忍んで耐えていれば、春には花が咲くのです。

植物のすごさ。すごいフジ

1403割山

寒い冬の日、フジの木を見つけました。このフジの木がすごい。なにがすごいって、すごいんてす。どこから出ているのかを確認したら、あなたもびっくりです、きっと。

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このフジの木、コンクリートの吹付の水抜き穴から出てきているのです。栄養分もなにもないと思われる水抜きパイプですが、ここにたまたまフジの種が落ちて芽が出て、こんなに大きくなったのですね。すごいですねー。植物の力。
この木は、わたしの観察では10数年経っていると思われるんですが、10年前、フジの種が水抜き穴をめがけて飛び込んでくる、その瞬間を見てみたかったものです。そんな瞬間は見ようと思っても見られるものではありませんが、そんな光景を想像しながら木を眺めるのも、また楽しいものであります。

臨時営業中

1306床屋さん

川内村には理容店が6店舗あります。髪を美しくかっこよく整えたいという気持ちに応えるべく、村の髪結い屋さんはがんばります。

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最近は毎日特売のような床屋さんも多いですが、村の床屋さんは昔ながら、ゆっくり座ってあれやこれやお話しながら、気持ちのいい時間を過ごす床屋さんです。
ある地区のこの理容店では、いまだ避難中なのですが、たまに来村した際にお店を開けて、村の人の髪形を整えていきます。これも、今の川内村のスタイルの一つかもしれません。

白木耳

1307キクラゲ

白木耳とはいい漢字をあてたものです。木の幹から色白の耳がはえているようです。白木耳と書いて白キクラゲと読みます。白いキクラゲは、珍しいんですね。

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小さい頃から野山を歩くのが大好きで、幸せなことに、最近では野山を歩くのが仕事となっているわたくしですが、これまで何十年も生きてきて、自然のままの白木耳を見たことなんて、何度あったことでしょうか。
白いキクラゲはそれ自体が珍しいですが、大事なことは、これがおいしいのであります。
世界三大美人の一人といわれる楊貴妃が大好物だったという白キクラゲ。キクラゲもお腹いっぱい食べてみたいものですが、タイムマシンが手に入ったら、楊貴妃さんにもぜひお会いしたいものです。そのときは、川内村の白木耳をお土産に持参することにいたしましょう。

民話・坂シ内の地蔵さん

1402地蔵

川内村には信号が二つあります。上川内と下川内に一つずつ。今日は、下川内の信号のすぐ横にある、お地蔵さんにまつわる民話をご紹介します。坂シ内とは「サカシウチ」と読み、この信号のあたりの地名です。

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昔々、下川内の坂シ内というところで、ばんかだに大火事がおきたんだど。その時、赤い着物を着た子どもが屋根から屋根に飛び越えて、火の粉を消したんだど。それで、2軒だけ焼け残ったんだど。
それで、火伏の地蔵様として、まつるようになったんだど。

1402地蔵

坂シ内は、下川内の住宅密集地です。大火事ともなれば、なかなか大きな災害になったであろうと思われます。お話ができたのがいつのことなのだかはよくわかりません。だいたい240年から250前ではないかとわたしは思っているのですが、残った2軒がどこの家とどこの家だったのか、なんていまさら詮索してはいけません。
ちなみに「ばんかだ」とは夕方のことです。漢字で書くと夕方ならぬ晩方なのでしょう。
このお地蔵さん、大事に屋根に守られていますが、大きく傾いて見えます。もともとお地蔵さんには屋根などつけてもらえないものでした。近年になって、屋根をつけてあげようということになった際に民家の屋根をさけて作ったために、こんなふうに芸術的な屋根になってしまったのではないかと思います。
今回の大雪で屋根が崩れたりしたところも少なくないのですが、こちらのお地蔵さんの屋根はもともとこの形です。余談でありました。

宮ノ下の巳待供養塔

1402巳待供養

巳待供養塔、読みは「みまちくようとう」です。そのココロは、巳(み・へび)を待つ供養塔です。一番大きな供養塔は、明和7年に建てられたと記されています。明治ではありません。明和ですから、1770年ということになります。

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巳、へびは、雨の神様です。巳を待つ供養ですから、雨ごいのお願いということになります。当時の川内村も、今と同じく農業が生活の糧だったのでしょう。ここだけでなく、村のあちこちにあるのが、巳待供養塔です。
巳待供養塔の本尊は弁財天で女の神様です。巳の刻(午前10時頃)を待って弁財天を祈りことになっていたようです。弁財天を拝んだ者は、幸運に恵まれると言われていました。
田畑に水が必要なときや雨不足の時、地域の人が集まって拝んだりしたものでした。弁財天は水の守護神で農業の神様でもありますが、鎌倉時代以降は、七福神のひとりと数えられました。
昔々は、宗教儀式を扱える人が主導して、こういった供養塔をそこここに建てたものではないかと思います。でも近ごろは、ここでお祈りをしている人は、とんと見かけません。大きな声ではいえませんが、わたしもお祈りしたことはありません。あんまり雨が降らないようだったら、思い出してみたいと思います。

1402巳待供養

郷倉

1402郷倉

郷倉と書いて、ごうぐらと読みます。故郷のこころあたたまる倉庫、みたいな漢字にも見えなくはありませんが、そもそもはもっと昔の古い時代のしきたりにのっとった倉庫です。

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こういった郷倉は、村の地区ごとにあった倉庫ですが、その時代は江戸時代。そして中に入れていたのは、年貢米だったということです。「もういいかげん観念しなさい」って言いたいときに「そろそろ年貢の納め時」みたいな言い方をします。長いお付き合いの末にいよいよ入籍するおめでたい場面で言われることもあると思いますが、年貢とは、まぁ税金です。
江戸時代には税金はお金ではなくてお米で払っていて、だから当時の国には何万石なんてお米の生産高でその勢力を計っていたものですが、お米を収穫するのと年貢として納めるのとが同時ではないので、どこかで保存しておかなければいけません。そこで郷倉の出番です。年貢を納めるときまで、お米はこの郷倉でじっくり保存されるというわけです。
あるいはまた、何年か一度の凶作に備えて、お米を保存したりするのに使われることもあったといいます。そんな今は昔、共同倉庫だった郷倉は、村のところどころで見かけることができます。大事な年貢を保存するところだからか、倉庫の材料は、丈夫な栗の木で作られていることが多いようです。

1402郷倉

民話・研屋作

1402館山全景

本日は、川内村の民話をひとつご紹介します。これら民話は、川内村村史民族篇(昭和63年発行)に記録されています。まずは下川内の館山公園付近に残されているお話です。写真はすわの杜公園付近から見た館山全景です。お題は「研屋作」。とんやさく、と読むのだそうです。館山の北の方の沢に、研屋作という地名が残されているということです。

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むかしむかし、若い男の研屋が川内に来ただど。村にはめんごい娘がいで、その娘ど研屋が仲よくなったど。
したら村の若者が妬いで、研屋を無理矢理山に連れ出して、首だけ出して埋けちまっただど。
そんでこの場所のことを研屋作と呼ぶようになったんだと。

研屋とは、刃物などを研ぐ(とぐ)商売です。包丁やナタなど、刃物を使っている人は多かったと思いますが、刃物の手入れをする人は村には少なかったのでしょうか? このお話に登場するのが研屋さんであるというのは興味深いところです。
「めんごい」とは「かわいい、美しい」という意味です。方言ですが、北関東から東北まで、比較的広く使われている方言です。
「いで」「妬いで」というのは「いて」「妬いて」ですが、語尾が濁るのは、これも方言です。
首だけ出して埋めてしまった、というお仕置きは、どこかで見たことがあります。「精九郎檀とブナ」というお話を紹介したことがありますが、なんだか似たような結末ですね。
研屋はとぎやですが、研屋作はとんやさくと読みます。研屋をとんやと読むのかもしれないし、じいさまたちに言い伝えられているうちになまってしまったのかもしれません。なんでとんや「作」なのかはわからないのですが、もしかしたら研屋をとじこめたという意味の「研屋柵」ではないかという気もするのですが、今となっては確かめようがありません。
ちなみに研屋作という沢がいったいどこにあるのかは、さっぱりわかりません。土地の長老に聞くと「あっちだ」と教えてくれるのですが、連れていってやるという人は誰もいなくて、ひとりで山に入ってもさっぱりわからず。
民話だから、今回は謎のままおしまい、ということにさせていただきます。

セキレイの巣

1401セキレイの巣

枯れ木にゴミがからまっている……ように見えると思いますが、そういう話でもあり、そうでもない話でもあり。ほんとうは、鳥の巣のお話です。

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ここは空き家になっている民家の敷地内。植木に巣を作っているのは、セキレイです。人間が捨てていったブルーシートの切れっぱしや草をうまく利用して巣を作っています。鳥は人間とちがって、すみかを1年ごとに更新しています。同じ家に何年も住むことはないわけです。なのでこの家も、来春は空き家になっていることでしょう。今度は、どこで子育てをするのかな?

1401セキレイの巣