川内村観光協会

県下一のブナの大木

1312ブナ

川内村下川内には国保診療所がありますが、そのすぐ裏の山に、ブナの巨木があります。樹齢300年(はつお推定)。わたしはブナの観察歴は人に自慢できるものを持っていますが、これほどの大木にはこれまでにそうそうお目にかかったことがありません。福島県一のブナの巨木だと信じています。

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しかしこのブナの巨木、国の天然記念物はおろか、県や村の指定を受けているわけでもなく、ただそこに立っています。どうして、なんの指定も受けないのでしょう。答えは簡単。それはこの木のすごさを理解できる人がいないからです。
このブナの巨木、幹に手を回そうとすると、大人3人が両手を広げて手をつなぎ、それでようやく、というくらいに太い木です。
わたしが感心するのは、この太さになるまで、このブナが枯れずに育ってきたということです。いまでも、ものすごくたくさんの実をつけています。
川内村には70歳や80歳になっても元気に山仕事などをこなす人がちょくちょくいらっしゃいますか、このブナの木ときたら300歳にしてまだまだ精力絶倫のようですから、木に爪があったら、爪の垢でも煎じて飲みたいと思います。
それにしても、これだけの木が放置されているのはなんともくやしいので、早く県なり村なりに、県の文化財としての指定をしてほしくて、いつも声を大にして呼びかけている次第です。

1312ブナ

ウサギの足跡

1312ウサギの足跡

これはなんだ? へんな足跡だなと思う人は、イナカで育った経験のない方ですね。これは野ウサギの足跡です。こんな雪景色を見に、川内の冬山にいらっしゃいませんか?

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ハの字の先に、ポンポンと別の足跡。これがウサギの足跡の特徴です。写真の手前から向こう側に進んでいます。いったいどんなふうに歩みを進めているのか、おわかりでしょうか。ハの字の跡は後ろ脚、ポンポンと縦に並んでいるのが前脚です。
ウサギは前脚、後脚ともに、左右を揃えて飛ぶように歩く(走る?)のがふつうとされていますが、足跡を見る限り、前脚は左右交互に出しているようです。うさぎの移動はとても速いので、左右別々に出している脚が左右揃えて飛んでいるように見えるのかもしれません。
ハの字の後脚から、次のハの字まではぴょんと飛んでいきます。けっこうな距離をひと蹴りで飛んでいることになります。ウサギの後脚のキック力は強力なのです。そして、こんなに規則正しく足跡を残せるなんて、野生動物の規則正しい暮らしぶりには感心します。
実はこの写真、わたしの家のすぐそこで撮影したものです。野生動物が、うちの近所をぴょんぴょんと飛んで歩いている様を想像すると、のんびりした気分になったり人が少ないのかなぁと思ったり、これが川内村の冬景色です。

セイタカアワダチソウ

1312セイタカアワダチソウ

たぶんこの名前には、あんまりいい印象を持っていない人が多いと思います。セイタカアワダチソウ。背が高くて泡が立つ草。名前からして、あんまり上品な感じではありません。これが、日本中にぬくぬくと生息しているのです。

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もともとは北アメリカが原産の帰化植物ということです。そのセイタカアワダチソウがなんで日本にやってきたかについてはいくつかの説があるのですが、明治時代末期に鑑賞目的の園芸植物として持ち込まれたという説が濃厚となっています。
畑や田んぼを耕作しないで放っておくと、このセイタカアワダチソウやヤナギの類いがむくむくと育ってきて、田畑はすぐに荒れてしまいます。
やっかいな植物ですが、園芸用として日本で勢力を伸ばしてきたことでもわかるように、黄色い花が美しい植物でもあります。なんでも薬用の効果もあるという話もあって、ひょっとするとやっかいなばっかりでもないのかもしれませんが、田畑の多い村育ちのわたしとしては、やはりセイタカアワダチソウはやっかい植物として頭の中に定着しています。
日本の侵略的外来種ワークス100にも選ばれていますが、爆発的に繁殖した1970年頃に比べると、自分で自分を殺してしまう成分を出す植物でもあり、昨今の繁殖は落ち着いていて、日本の在来種と共存を始めたという説もあるようです。

五社山と八幡神社

1312五社山

上川内と下川内の境になりますが、五社山という山があります。下川内側からの登山道は整備されていて、手ごろに登れる標高600メートルの低山ですが、この山頂に八幡神社があります。
山頂からは、上川内の町並みが一望できて、なかなかの展望が楽しめます。

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写真、左真ん中あたりの広い庭が川内小学校、右端に赤い屋根の校舎のようなものが見えますが、これが旧川内第二小学校、現在は大智学園となっています。村役場は眼下直下なので、この画面には写っていません。

1312五社山

山頂に八幡神社といいましたが、実は八幡神社があるのは山頂の少し下です。登山道は神社からさらに険しくなって最後に見晴らしのいい頂上に出ることになります。
八幡神社は、そのいわれは鎌倉時代までさかのぼります。
武家政権である鎌倉幕府を開いたのは源頼朝ですが、頼朝や室町幕府の足利尊氏などの祖先にあたる源義家は、その通称を八幡太郎といわれておりました。
この八幡太郎を祀って神社としたのが、日本のあちこちにある八幡神社です。川内村にも八幡神社は4社ありますが、いずれも人里に近くあり、このように山のてっぺんにあるのはこの五社山の八幡神社が唯一、ということになります。

1312五社山

そしてここの八幡神社には、八幡太郎、源義家が確かにここへやってきたのだという証拠があるのだといいます。
それが、八幡太郎がのってきた馬のひづめの跡です。つまり八幡太郎は馬に乗ってこの頂上にやってきた、ということです。
かたい岩にどうやったら馬の足跡がつくのか、それに乗ってきたのが八幡太郎の馬である確証はあるのか、そもそもそれは馬のひづめなのか、など、つっこみどころはいっぱいありますが、村の伝説ですから大事にしてあげたいと思います。
どれがひづめの跡なのかぜひ探してみてくださいといいたいところですが、知らない人にはなかなかわかりにくいものかとも思いますので、写真を1枚添えておきます。
ちなみに、山頂の看板のすぐ後ろにあるのは、馬のひづめではなく、昔ここに建っていた鉄塔の名残だということです。おまちがいなく。ひづめの跡は、下の写真の中央のでございます。ほら、馬がここを駆け巡ったように、見えるでしょう?

1312八幡太郎のひづめ

1312五社山

冬のおもてなし(千翁川)

1312千翁川

川内村も、すっかり冬の装いになりました。寒いばかりでスキー場もないしスケートリンクもない川内村ですが、ちゃんとみなさんをお迎えする用意もあります。この季節にはこの季節ならではの趣があります。

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ここは千翁川、県道からは遠くないので、比較的気軽に散策ができるところです。わたしとしては、ここは宮崎の日南海岸か北海道の大函小函にそっくりの名勝だと思っているのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。わたしはひそかにここへきて、層雲峡や日南海岸を旅している気分になっているのです。
この岩、一面柱状節理です。昔々、何万年前なのか何百年前なのか、あるいは何億年前なのかはわかりませんが、大昔に火山爆発で出てきたマグマが冷やされるときにできたのが柱状節理です。
日南海岸と層雲峡を思い浮かべながら、気がつくと地球創世記の頃に思いをはせている自分に気がついたりして、冬の川内村は、やはりこれはこれで奥深いのです。
冬の川内、いらっしゃってみませんか。

1312千翁川

美しきヤマゴケ

1312ヤマゴケ

近ごろ、コケはなかなか人気の植物のようで、都会の屋上の緑化に利用されたり、また植物の水もちをよくするためなどに利用されています。
そしてこれは、川内村のヤマゴケです。

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ヤマゴケは、とってもステキな丸い形になってくれて、盆景や庭園に欠かせない素材ですが、赤松の生えている山に多いコケになります。ないしょの話ですが、このコケが生えている山は、みなさんがよだれを垂らしてほしがるであろう、マツタケが出る山が多いんです。そういわれると、みんなこのかわいい草をコケにしなくなるにちがいないですね。

1312ヤマゴケ

中学校と消防の絆

1312中学校の寮

川内村には村立の小学校と中学校があります。震災後1年間は村外で学習していたそれぞれの学校ですが、震災1年にして村に戻り、以前よりはだいぶ生徒が少なくなってしまったのですが、それでもみんな元気に学校に通って、すくすくと育っています。
ところで川内中学校には、寄宿舎があるのです。この寄宿舎、村の周辺部にお住まいの、そこそこ妙齢の諸先輩方の中には、お世話になった思いのある方もいらっしゃると思います。

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今は、小学校も中学校も、村の全域にスクールバスが出て、子どもたちはほとんどドアからドアで快適に通学していますが、その昔は、みんな歩いたり自転車に乗ったりして通学していました。小学校は3つあったので、それでも通学距離はまだそれほどでもなかったのですが(といっても、今となっては歩く気にならない距離です)、村に一校の中学校となるとたいへんです。村の端から端まで車で走ると、1時間弱はかかるという広い村です。中学生にはとうぜん車の運転はできませんから、歩いたり自転車で通います。川内村はどこへいくのも山を越えていきますから、中学生も山を越える峠道を通います。それはなかなかの体力トレーニングになりました。
しかし冬場になれば、さすがに通うのはきつい地域のひともでてきます。そんな子どもたちのために、冬季の寄宿舎が用意されていました。同じ村内とはいえ、親元を離れ寄宿舎で生活する中学生。その時代のみなさんがたくましいのは、そんな背景もあるのかなと思ったりします。
もちろん今では、周辺地域の子どももすぐそこの子どもも、みんなスクールバスです。通学時の安全が第一ですが、往時の寄宿舎も、ちょっと懐かしい気がします。ちなみにわたしは川内中学校の卒業生ですが、通える距離に家があったので、寄宿舎暮らしの経験はありませんでした。当時は正直なところ、よかったと思ったりしていましたが、今思えば、ちょっと寄宿舎暮らしを経験しておくのも悪くなかったかなと思います。
さてその寄宿舎ですが、今は消防署の職員宿舎として利用されています。原発事故の影響で、富岡や浪江の消防署が使えなくなっています。そこにあった消防署は、そっくりそのまま川内村の出張所に移ってきていて、そこで働く職員の数も震災以前より多くなっています。
双葉郡を守る広域消防のみなさんの拠点、それが川内村であり、みなさんの衣食住は、かつて村の中学生の暮らしの場だったところなのです。

1312中学校の寮

オオバタネツケバナの香り

1312オオバタケツケバナ

清流に育つ水草がオオバタネツケバナです。刺し身のツマなどでみなさんの目に触れることも少なくないと思うのですが、このあたりでは意外にその存在は知られていませんし、あんまり食べる人もいないのではないかと思われます。
四国地方では、その名をていれぎなどというようですが、それもまた、このあたりのみなさんには知られていないと思います。

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クレソンというとご存知の方は多いと思います。クレソンは別名で、正しくはオランダガラシというんですね。このクレソンよりこちらのオオバタネツケバナの方が香りが強く、生で食べるのが一番おいしいとわたしは思います。
おひたし、生食、天ぷら、炒めものとなんでもござれ。四国松山では、こんな有能な草を大事にしていて、松山が故郷である歌人、かの正岡子規もこんな句を残しています。

秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛 

いざとなったらウコギを食おう

1312ウコギ

トゲトゲの植物であります。これ、なんだか知ってますか? これを見ただけだとあんまりそそられないかもしれませんが、これがあるだけで命が助かるとなったら、あなたの見る目も変わってくるのではないでしょうか。

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昔々、米沢藩9代藩主に、上杉鷹山公(うえすぎようざん)というお方があらせられました。この殿様、公娼を廃止したり「なせばなるなさねばならぬなにごとも」との言葉を残したりした、、後世にその名が残るえらい方なのですが、ウコギもまた、上杉鷹山公によって戦国時代の歴史に名を残すことになります。そうそう、このとげとげは、ウコギです。
ウコギは、春から初夏にでる新芽がおいしく、おひたしや天ぷら、ご飯などにおいしく利用されています。そのウコギが冬を迎えると、こんな姿になるわけですが、上杉鷹山公とウコギの関係は、江戸時代中期の天明の大飢饉の際に築かれます。鷹山は飢饉に向けて数々の改革を進めていったのですか、そのひとつが、家々の生垣をウコギで作らせるというものでした。平時は生垣、飢饉の時にはウコギを食べて飢えをしのごうという作戦です。作戦は見事に当たり、鷹山とウコギは、一躍男とウコギをあげたのでした。
ウコギをはじめ、こういった非常時に頼りになる植物を救荒植物といいます。荒れた時代を救う植物という意味でしょうが、なんだかジャンヌ・ダルクのようなヒーローみたいな響きです。ウコギがヒーローなのかヒロインなのか(念のため、ジャンヌ・ダルクは女の方です)わかりませんが、願わくばウコギのお世話にならずに暮らし続けられることを祈りつつ、万一に備えるのが昔のひとの教えというものなのでありましょう。

1312ウコギ

CM大賞知事賞いただきました

1312CM大賞

福島放送主催の「ふくしまの元気!応援CM大賞」というのがあります。毎年それぞれの自治体が地域のご自慢をCMにして、その出来栄えを競う大賞です。
その審査会が行われ、川内村から応募した3点のうち、かわうち編が福島県知事賞をいただきました!

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1312CM大賞

審査会は郡山の開成学園建学記念講堂・大ホールにておこなわれ、全57作品から大賞が選ばれました。応募できるのは、各自治体ごとに3作品までとなっています。川内村は、限度いっぱいの3作品を応募しました。
作品を作ってくれたのは国際アート&デザイン専門学校のみなさん。三上先生のご指導のもと、川内村の宣伝に一役買いたいという思いの有志のみなさんに集まっていただきました。
村まで取材に来ていただいて、まずでき上がったのが6作品。応募できるのは3作品ですから、そこから3作品に厳選し、選ばれた3作品を念入りに編集、福島放送に送ることになりました。
強豪ばかりの中、見事、福島県知事賞をいただきました。そんな栄冠が待っているとは誰も思っていなかったので、みんなびっくりでした。
国際アート&デザイン専門学校のみなさん、ありがとうございました。
なおこのCMは、いただいた目録のとおり、これから50回に渡って福島放送で放送される予定です。
まずは、12月29日のお昼に、CM大賞選考会の様子が特別番組として放送されますので、そちらで受賞作品がお披露目されることになっています。
どんなCM二なっているのか(実は見たことがない村人がたくさんいます)、楽しみです。

1312CM大賞

2013CM大賞

1312CM大賞

1312CM大賞