川内村観光協会

とっかん工事?

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なにかの工事をしています。なんの工事なのでしょう? 文字がはがれてよくわからなくて、看板の前でしばし悩んでしまいました。

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どうやらこれ、とっかん工事ではなく、雪寒工事と書いてあったようです。折檻工事ではありませんよ。そんな恐ろしい工事はしてもらいたくありません。石棺工事は原発事故の収束のためにやらなければいけないはずですが、まだ始まっていません。いずれにしろ、この工事とは関係がありません。
看板を読んだまま理解すれば、凍結防止剤を自動的に散布する機械の設置工事をしているようです。凍結防止剤は塩化カルシウムを使うことが多いようで、すでにこういう機械が設置されている地区もあるということですが、どんな工事で、どんなものができあがるのか、そして一番興味深いのは、この機械ができ上がるのと、春になるのはどちらが早いか、ということです。

1403雪寒工事

かしわの冬芽

1403かしわ

かしわといえば、かしわ餅やらかしわ手やらと、縁起のいい表現をされることが多い「かしわ」。そのかしわが木になったのがこの「かしわ」です。

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春になって芽が出るまで、前の年につけた葉が残っているのが特徴で、それゆえに「代が続く」「家系が代々続く」といわれ、家を守るため、庭にはかしわの木を1本植えておくといいといわれています。
こんな話、ご存知でしたか? そしてあなたの家のお庭には、かしわの木が植わっていますか?

1403かしわ

映画「家路」

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「家路」という映画が公開されています。2011年3月11日の東日本大震災と原発事故の影響で立ち入りができなくなった地域での家族の物語です。松山ケンイチさん主演、内野聖陽さん、田中裕子さん、安藤サクラさんらが出演で、日本の原風景をテーマとしています。
この映画は、川内村が深くかかわっているのでした。

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映画が原風景として選んだ実際の土地は、川内村の秋元美誉氏の田んぼとおうちでした。美誉さん(よしたかさん。ちなみに川内村では、秋元さんや井出さん、猪狩さん、遠藤さんなど、同じ姓の人が多いので、人を呼ぶときには姓ではなく名前で呼ぶことが多いです。秋元美誉さんも、秋元さんではどこの秋元さんだ?と聞きただされてしまうことが多いです)は、震災後の2011年に、作付け禁止となっている中でお米作りを再開しました。美誉さんのお米は、2007年に天皇陛下に献上されたこともあります。由緒正しい、反骨農家です。

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ご自宅は、川内村きっての旧家で、まさに農村の原風景たるたたずまいがそこにあります。美誉さんが2011年に作ったお米はごく一部を放射能検査した以外はすべてを破棄することになり、そして2012年には県の指定による検査用のお米の生産をし、満を持して2013年の今年、3年ぶりに食べられるお米の生産をするまでになったのでした。

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美誉さんのお米作りには、特に震災以降、種まき、田植え、稲刈りと、首都圏からお手伝いに来てくれる人がいます。最初は被災地のお手伝いにやってきて、美誉さんの人柄にふれ、翌年以降はまるで里帰りをするように、美誉さんの笑顔を見に帰省してくる皆々です。被災地のボランティア活動と思って来はじめたのに、美誉さんに元気をもらい、励まされて帰途についているという人も少なくありません。
映画は、そんな美誉さんの農業とのかかわりをなぞるようにストーリーが進んでいきます。

福島県いわき市のポレポレいわきでの舞台挨拶では松山ケンイチさん、田中裕子さん、久保田直監督の舞台挨拶のあと、美誉さんと奥様のソノ子さんが登場し花束の贈呈を受けられました。
映画にかかわったみなさんにとっても、美誉さんと川内村は、新たなふるさととなったような、そんな映画ができ上がっています。
川内村の他、富岡町、双葉町など、警戒区域となった福島県の町並みも舞台となっています。福島に思いをはせながら、どうぞご覧ください。

●舞台挨拶の写真は「家路」Facebookに掲載されていたものです。Facebookには、インタビュー記事やテレビ番組の紹介などもされていますので、ぜひそちらもご覧ください。→「家路」Facebook

お隣町で人形浄瑠璃

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3月2日日曜日、13時から、田村市文化センターで、人形浄瑠璃の福島公演が催されます。入場無料です。日本の伝統芸能に触れるチャンスがやってきます。

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この人形浄瑠璃。NPO法人コミュニティワーク研究実践センターの主催で、公益財団法人さっぽろ青少年助成活動協会との共催で開催されます。人形遣いはさっぽろ人形浄瑠璃芝居あしり座のみなさん。はるばる北海道からやってきます。
開場は開演30分前。公演演目は「二人三番叟」「壺坂観音霊験記 山の段」の二演目。この他、人形解説や人形体験コーナーもあって、全体のプログラムは1時間15分ほどということです。申し込みは不要です。

宿り木

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ちょっと気が早いですが、早春の宿り木、ヤドリギです。ヤドリギは1年中緑色の葉をつけているので、冬の今でも、この写真と似たような姿を見せています。

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1402やどりぎ

ヤドリギの果実は、冬の間に鳥に食べられるのがたいていの運命です。果実が実るのはふつうは収穫の秋ですが、おそらく秋にはほかのおいしいものがいっぱいあって、鳥も秋の味覚を楽しんでいるものと思われます。秋のものがなくなって、冬に食いぶちを得ようとすると、そこにヤドリギがある、ということではないでしょうか。
ヤドリギの果実の内部は粘りがあって、種子はその粘り気につつまれているので、鳥に食べられてもそのままの状態で鳥の胃を経由して腸を通過し、粘液質の糸を引いたまま排泄されて樹上に落下します。
木の上に落ちた種子は、粘液によって樹上にくっついて、そこで発芽して樹上に根を下ろして、そこで新たなヤドリギとなるのです。
ひとつの種子から、こんなふうにうまい具合に樹上のヤドリギとして大株になるには、だいたい3年ほどかかるようです。

1402やどりぎ

民話・研屋作

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本日は、川内村の民話をひとつご紹介します。これら民話は、川内村村史民族篇(昭和63年発行)に記録されています。まずは下川内の館山公園付近に残されているお話です。写真はすわの杜公園付近から見た館山全景です。お題は「研屋作」。とんやさく、と読むのだそうです。館山の北の方の沢に、研屋作という地名が残されているということです。

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むかしむかし、若い男の研屋が川内に来ただど。村にはめんごい娘がいで、その娘ど研屋が仲よくなったど。
したら村の若者が妬いで、研屋を無理矢理山に連れ出して、首だけ出して埋けちまっただど。
そんでこの場所のことを研屋作と呼ぶようになったんだと。

研屋とは、刃物などを研ぐ(とぐ)商売です。包丁やナタなど、刃物を使っている人は多かったと思いますが、刃物の手入れをする人は村には少なかったのでしょうか? このお話に登場するのが研屋さんであるというのは興味深いところです。
「めんごい」とは「かわいい、美しい」という意味です。方言ですが、北関東から東北まで、比較的広く使われている方言です。
「いで」「妬いで」というのは「いて」「妬いて」ですが、語尾が濁るのは、これも方言です。
首だけ出して埋めてしまった、というお仕置きは、どこかで見たことがあります。「精九郎檀とブナ」というお話を紹介したことがありますが、なんだか似たような結末ですね。
研屋はとぎやですが、研屋作はとんやさくと読みます。研屋をとんやと読むのかもしれないし、じいさまたちに言い伝えられているうちになまってしまったのかもしれません。なんでとんや「作」なのかはわからないのですが、もしかしたら研屋をとじこめたという意味の「研屋柵」ではないかという気もするのですが、今となっては確かめようがありません。
ちなみに研屋作という沢がいったいどこにあるのかは、さっぱりわかりません。土地の長老に聞くと「あっちだ」と教えてくれるのですが、連れていってやるという人は誰もいなくて、ひとりで山に入ってもさっぱりわからず。
民話だから、今回は謎のままおしまい、ということにさせていただきます。

ガマの油で火をつける?(ガマの穂)

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木戸川本流の河川敷に生えてた、りりしいこいつは、ガマの穂といいます。穂といいますが、種ですね。ちょっとヒマワリの種に似ていますが、もっともっと巨大です。

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1308ガマの穂

この写真を見ると、ガマの穂というよりラクダの顔にも見えますが(見えない?)そんなことはどうでもいい話でした。
このガマの穂、インターネットを調べるといろんな用途があるみたいですが(放置しておくとすくすく育ってたいへんなことになるので、地元民としてはやっかいものの印象ですが)、古代人はこの穂を使って火を起こしていたらしいです。
火起こし器を使って火を起こすと、このガマの穂に火をつけて、火種を保存していたのですね。
なんでそんなことを知っているかって?
わたしは実は、タイムマシンに乗って古代からやってきた古代人だったのです。
あ、ガマの油はガマの穂とはぜんぜん関係ないですからね。だまされないように。

辛島美登里さんと

辛島美登里さんコンサート

3月31日、川内村コミュニティセンターで、辛島美登里さんによる川内村復興コンサートが開催されました。

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辛島さんは、年末に放送されたNHKの番組「川内村村長奮闘す」を見て、川内村のためにとやってきてくれました。

当日は、復興課長発表で観客動員15,000人! 減塩鍋食事会もおこなわれ、150食用意したというお鍋もあっという間に売りきれ。なかなかの盛況。食事会では、辛島さん自らエプロン姿で配膳してくれるというぜいたくな集いとなりました。

鹿児島から直行された辛島さんには寒い一日でしたが、辛島さんの曲を聞いて育ったお年ごろの方も多く、こころあたたまる一日となりました。