川内村観光協会

県下一のブナの大木

1312ブナ

川内村下川内には国保診療所がありますが、そのすぐ裏の山に、ブナの巨木があります。樹齢300年(はつお推定)。わたしはブナの観察歴は人に自慢できるものを持っていますが、これほどの大木にはこれまでにそうそうお目にかかったことがありません。福島県一のブナの巨木だと信じています。

(さらに…)

しかしこのブナの巨木、国の天然記念物はおろか、県や村の指定を受けているわけでもなく、ただそこに立っています。どうして、なんの指定も受けないのでしょう。答えは簡単。それはこの木のすごさを理解できる人がいないからです。
このブナの巨木、幹に手を回そうとすると、大人3人が両手を広げて手をつなぎ、それでようやく、というくらいに太い木です。
わたしが感心するのは、この太さになるまで、このブナが枯れずに育ってきたということです。いまでも、ものすごくたくさんの実をつけています。
川内村には70歳や80歳になっても元気に山仕事などをこなす人がちょくちょくいらっしゃいますか、このブナの木ときたら300歳にしてまだまだ精力絶倫のようですから、木に爪があったら、爪の垢でも煎じて飲みたいと思います。
それにしても、これだけの木が放置されているのはなんともくやしいので、早く県なり村なりに、県の文化財としての指定をしてほしくて、いつも声を大にして呼びかけている次第です。

1312ブナ

五社山と八幡神社

1312五社山

上川内と下川内の境になりますが、五社山という山があります。下川内側からの登山道は整備されていて、手ごろに登れる標高600メートルの低山ですが、この山頂に八幡神社があります。
山頂からは、上川内の町並みが一望できて、なかなかの展望が楽しめます。

(さらに…)

写真、左真ん中あたりの広い庭が川内小学校、右端に赤い屋根の校舎のようなものが見えますが、これが旧川内第二小学校、現在は大智学園となっています。村役場は眼下直下なので、この画面には写っていません。

1312五社山

山頂に八幡神社といいましたが、実は八幡神社があるのは山頂の少し下です。登山道は神社からさらに険しくなって最後に見晴らしのいい頂上に出ることになります。
八幡神社は、そのいわれは鎌倉時代までさかのぼります。
武家政権である鎌倉幕府を開いたのは源頼朝ですが、頼朝や室町幕府の足利尊氏などの祖先にあたる源義家は、その通称を八幡太郎といわれておりました。
この八幡太郎を祀って神社としたのが、日本のあちこちにある八幡神社です。川内村にも八幡神社は4社ありますが、いずれも人里に近くあり、このように山のてっぺんにあるのはこの五社山の八幡神社が唯一、ということになります。

1312五社山

そしてここの八幡神社には、八幡太郎、源義家が確かにここへやってきたのだという証拠があるのだといいます。
それが、八幡太郎がのってきた馬のひづめの跡です。つまり八幡太郎は馬に乗ってこの頂上にやってきた、ということです。
かたい岩にどうやったら馬の足跡がつくのか、それに乗ってきたのが八幡太郎の馬である確証はあるのか、そもそもそれは馬のひづめなのか、など、つっこみどころはいっぱいありますが、村の伝説ですから大事にしてあげたいと思います。
どれがひづめの跡なのかぜひ探してみてくださいといいたいところですが、知らない人にはなかなかわかりにくいものかとも思いますので、写真を1枚添えておきます。
ちなみに、山頂の看板のすぐ後ろにあるのは、馬のひづめではなく、昔ここに建っていた鉄塔の名残だということです。おまちがいなく。ひづめの跡は、下の写真の中央のでございます。ほら、馬がここを駆け巡ったように、見えるでしょう?

1312八幡太郎のひづめ

1312五社山

中学校と消防の絆

1312中学校の寮

川内村には村立の小学校と中学校があります。震災後1年間は村外で学習していたそれぞれの学校ですが、震災1年にして村に戻り、以前よりはだいぶ生徒が少なくなってしまったのですが、それでもみんな元気に学校に通って、すくすくと育っています。
ところで川内中学校には、寄宿舎があるのです。この寄宿舎、村の周辺部にお住まいの、そこそこ妙齢の諸先輩方の中には、お世話になった思いのある方もいらっしゃると思います。

(さらに…)

今は、小学校も中学校も、村の全域にスクールバスが出て、子どもたちはほとんどドアからドアで快適に通学していますが、その昔は、みんな歩いたり自転車に乗ったりして通学していました。小学校は3つあったので、それでも通学距離はまだそれほどでもなかったのですが(といっても、今となっては歩く気にならない距離です)、村に一校の中学校となるとたいへんです。村の端から端まで車で走ると、1時間弱はかかるという広い村です。中学生にはとうぜん車の運転はできませんから、歩いたり自転車で通います。川内村はどこへいくのも山を越えていきますから、中学生も山を越える峠道を通います。それはなかなかの体力トレーニングになりました。
しかし冬場になれば、さすがに通うのはきつい地域のひともでてきます。そんな子どもたちのために、冬季の寄宿舎が用意されていました。同じ村内とはいえ、親元を離れ寄宿舎で生活する中学生。その時代のみなさんがたくましいのは、そんな背景もあるのかなと思ったりします。
もちろん今では、周辺地域の子どももすぐそこの子どもも、みんなスクールバスです。通学時の安全が第一ですが、往時の寄宿舎も、ちょっと懐かしい気がします。ちなみにわたしは川内中学校の卒業生ですが、通える距離に家があったので、寄宿舎暮らしの経験はありませんでした。当時は正直なところ、よかったと思ったりしていましたが、今思えば、ちょっと寄宿舎暮らしを経験しておくのも悪くなかったかなと思います。
さてその寄宿舎ですが、今は消防署の職員宿舎として利用されています。原発事故の影響で、富岡や浪江の消防署が使えなくなっています。そこにあった消防署は、そっくりそのまま川内村の出張所に移ってきていて、そこで働く職員の数も震災以前より多くなっています。
双葉郡を守る広域消防のみなさんの拠点、それが川内村であり、みなさんの衣食住は、かつて村の中学生の暮らしの場だったところなのです。

1312中学校の寮

一枚滝(四重の滝その4)

1312一枚滝

国道399号線から滑津川をのぼること1.9km。こんな滝がありました。手前の竹やぶにピントがあっていて申し訳ないですが、写真を撮るのはなかなかむずかしいです。

(さらに…)

1312一枚滝

最近のカメラは押せば写りますが、わたしは滝を写したかったのに、カメラは竹やぶを写したかったようで、カメラと意見が合わないとピントも合わないです。竹やぶがきれいになくなってくれれば、滝ももっと見やすくなるし、押すだけでばっちり滝にピントが合うと思うのですが、ちょっと残念なりです。
え? ピントをしっかり確認して写真を撮れって? お恥ずかしい。お年頃だもので、ピントが合っているかどうか、よく見えないのですね。ごめんなさい。
ということで、滝の話です。川内村の川は、川床が一枚岩になっているところが多いのですが、ここは立派な一枚岩の滝です。水が落ちる先(手前ですか?)も一枚岩になっていますから、さぞ岩魚も登りやすいことと思います。竹やぶだらけで近寄れないのでよくわかんないのですが、滝の下には岩魚やカジカがひそんでいそうな、そんな滝です。

夢の中の滝(四重の滝その3)

1312夢の中の滝

国道399号線から1.1km。滑津川みっつめの滝です。この美しさは、見とれていると、そのまま夢の中に連れて行かれそうです。なので夢の中の滝。もちろんはつお命名です。

(さらに…)

滝は三段になっています。なんだか絵になる滝だと思いませんか。流れが微妙に「く」の字に曲がっているのもステキです。ここももっと近づきたいけど、ヤブが盛大に育っていて、川に下りるのは躊躇しました。ヤブさえ払えば、川に下りるのはそんなにむずかしいことではないと思いますが、ヤブを払うのもなかなか骨の折れる作業なのであります。

うろこの滝(四重の滝その2)

1312うろこ滝

国道399号線からほんの1km。素敵な滝が次々に現れます。この滝、うろこの滝と命名してみました。名前をつけるの、けっこういっしょうけんめいやっているのですが、もっといい名前があったら、教えてくださいね。

(さらに…)

うろこの滝というのは、ほら、ご覧のとおり、魚のうろこみたいな滝だからです。岩の形もおもしろいけど、そんなおもしろい岩から滝のように水が流れ落ちるなんて、これまたおもしろいことです。滝のように、じゃなくて、ほんとの滝なんですけども。
このあたり、滝は美しいけど、ヤブが育っていて、滝の近くまで降りることができません。ヤブ払い突撃隊を結成しないと滝を間近で見られないというのが、残念なところです。

四条の滝(四重の滝その1)

1311四条の滝

滝の写真はなかなか難しいです。これもまたちょっとピンボケですが、有名な戦争カメラマンのロバート・キャパの伝記のタイトルも「ちょっとピンボケ」ですから、わたしもその仲間入りを果たせたのかもしれません。

(さらに…)

この滝は、国道399号線からたった900mです。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、縦に4本の水の流れがあります。4本の流れがあったので四条の滝と名づけてみましたが、今年はなんとかの桜という大河ドラマが人気なので、滑津川のこのあたりに次々に現れる4つの滝を総称して、四重の滝と名づけてみました。よんじゅうではなくて、よえのたきと読んでほしいなんて思います。
11月下旬は水の流れが少ない季節なので、そのせいか水量があんまりなくておだやかな滝です。水量の多い季節だとどうなるのか楽しみなところです。
1日たっぷり時間があったら、この滝の横に粘って、岩魚が跳ねながら上流に上っていくさまを見てみたいと思います。そんなことができるんじゃないかと、わくわくさせてくれる滝なのです。

長城岩

1312長城岩

こんな不思議な岩がありました。長城岩とはわたしの命名ですが、いったいこの岩、誰が、どうやって積み上げたのでしょうね。

(さらに…)

ここは、もちろん人の家があったとか、徳川家康のお城があったとかではありません。なんにもない、ただの川の上流です。しかしここに、こんな岩があります。
誰かが石垣を作るために積み上げたかのような、そんな岩々です。こんな岩が、この周囲10mほどにわたって続いています。中国には人間が作った万里の長城というのがありますが、はつお命名の長城は10mの長城であります。
いつごろ、どんな活動によってこんな岩が生まれたのか、それを考えているだけで、冬の一日はあっという間に暮れていきます。

1312長城岩

サルトリイバラ

1312サルトリイバラ

下川内の五社山八幡神社に登ってきました。参道で見つけたのがこちらです。サルトリイバラと申します。サルトビサスケではございません。

(さらに…)

ごらんのように、とげがいっぱいある植物です。おそらく、このとげには、人も鳥もサルもひっかかって、悩まされたことでしょう。その名前は、そのときの悪い思い出があるサルがつけたのにちがいありません。
その一方、サルトリイバラは花屋さんでよく見る植物でもあります。この季節、サルトリイバラは赤い実をつけますから、それを生花とかドライフラワーに使うんですね。
直売所で売っているのを見たり、会社の受付に飾ってあったり、とってもステキな色合いです。
このバラ、別名をサンキライといいます。サンキライという名前のほうが、きれいなお花の好きな人にはよく知られているかもしれません。漢字で書くと「山帰来」です。山嫌いじゃないですからね。サンキライ、いい名前だと思います。

小春日和の梅の花

1310梅の狂い咲き

10月末だというのに、梅が咲いていたというお話です。下川内西山橋のすぐそば。第6区集会所のすぐ隣でした。梅の狂い咲き、というやつです。

(さらに…)

梅が狂い咲いた数日間は、それまでの寒い日が一転、ちょっとぽかぽかした日が続きました。なので梅も、よもや11月になるなんて思わずに、すっかり春だと思って花を咲かせてしまったものだと思われます。
ところで小春日和ということばがありますが、これってぽかぽかした春の陽気のことじゃないんですね。ご存知でしたか? 小春日和とは、晩秋から晩冬にかけての寒くなりかけたころ、移動性高気圧が幅を利かせて、これでおだやかにあたたかい日のことを言うのです。そう、ちょうど今頃のことなんですね。
春になってぽかぽかしてきてから「いい小春日和だ」なんていうと、それこそ狂い咲きになっちゃいますから、気をつけたいものだと思います。

1310梅の狂い咲き