川内村観光協会

五社山と八幡神社

1312五社山

上川内と下川内の境になりますが、五社山という山があります。下川内側からの登山道は整備されていて、手ごろに登れる標高600メートルの低山ですが、この山頂に八幡神社があります。
山頂からは、上川内の町並みが一望できて、なかなかの展望が楽しめます。

写真、左真ん中あたりの広い庭が川内小学校、右端に赤い屋根の校舎のようなものが見えますが、これが旧川内第二小学校、現在は大智学園となっています。村役場は眼下直下なので、この画面には写っていません。

1312五社山

山頂に八幡神社といいましたが、実は八幡神社があるのは山頂の少し下です。登山道は神社からさらに険しくなって最後に見晴らしのいい頂上に出ることになります。
八幡神社は、そのいわれは鎌倉時代までさかのぼります。
武家政権である鎌倉幕府を開いたのは源頼朝ですが、頼朝や室町幕府の足利尊氏などの祖先にあたる源義家は、その通称を八幡太郎といわれておりました。
この八幡太郎を祀って神社としたのが、日本のあちこちにある八幡神社です。川内村にも八幡神社は4社ありますが、いずれも人里に近くあり、このように山のてっぺんにあるのはこの五社山の八幡神社が唯一、ということになります。

1312五社山

そしてここの八幡神社には、八幡太郎、源義家が確かにここへやってきたのだという証拠があるのだといいます。
それが、八幡太郎がのってきた馬のひづめの跡です。つまり八幡太郎は馬に乗ってこの頂上にやってきた、ということです。
かたい岩にどうやったら馬の足跡がつくのか、それに乗ってきたのが八幡太郎の馬である確証はあるのか、そもそもそれは馬のひづめなのか、など、つっこみどころはいっぱいありますが、村の伝説ですから大事にしてあげたいと思います。
どれがひづめの跡なのかぜひ探してみてくださいといいたいところですが、知らない人にはなかなかわかりにくいものかとも思いますので、写真を1枚添えておきます。
ちなみに、山頂の看板のすぐ後ろにあるのは、馬のひづめではなく、昔ここに建っていた鉄塔の名残だということです。おまちがいなく。ひづめの跡は、下の写真の中央のでございます。ほら、馬がここを駆け巡ったように、見えるでしょう?

1312八幡太郎のひづめ

1312五社山

緯度37.32836722527795 経度140.80302357673645

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