川内村観光協会

糠馬喰山の奇岩

1402糠馬喰山の岩

これ、なんの岩だかおわかりでしょうか? お墓? 石碑? いえいえちがいます。自然の石なんです。川内村の北西エリアにある糠馬喰山にある石です。

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この山は、奇岩がいっぱいあります。こんな石碑みたいな石が、自然の状態で存在してるんです。どうしてこんな岩ができたのか、それは神のみぞ知る、というところかもしれません。

1402糠馬喰山の岩

糠馬喰山の山頂には、八幡神社があります。この地域の神様として、信仰を集めているところで、同時にちょっとしたハイキング気分の登山も楽しむことができます。
昔々、ここに八幡神社を建立した人々は、山のてっぺんのながめのよさと、不思議な岩が林立しているという点で、この場所を神の宿る場所として選んだのではないかと思います。
雪がとけたら、あなたもこの地で、神の宿る地の不思議な岩を見ることができます。

1402糠馬喰山の岩

高田島諏訪神社

1401高田島諏訪神社

川内村に3つある諏訪神社の、本日の諏訪神社は、高田島の諏訪神社です。高田島は川内村第一区行政区のことで、昔々に親しまれていた集落名です。川内村に3つある諏訪神社ですが、高田島の諏訪神社は下川内の諏訪神社の分霊となっています。なので神主さんは下川内の諏訪神社の神主さんが兼務しています。

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1401高田島諏訪神社

参道は県道112号線からほど近く、手で積み上げたかと思われる階段を上っていきます。入口には木でできた鳥居が建っています。この鳥居は、震災後に新たに建造されたものだそうです。
実はこの参道を通らなくても、裏手から自動車で行くこともできるのですが、やはりお参りの王道は参道からでありましょう。裏手の自動車道は、地元のひとがお歳を召してしまって、参道を上り下りするのがたいへんということで、自動車で行けるように整備されたものだということです。

1401高田島諏訪神社

実はこの神社、天井にすてきな絵が描いてあります。神社の中ですから、外からは見られませんが、これがその天井画です。これがなんと、東京の大学生がやってきて描いていったということで、このへんの話はまたゆっくり調べてみることにします。
ということで、3つの諏訪神社を回って、わたくしはつおの初詣でが終わりました。

五社山と八幡神社

1312五社山

上川内と下川内の境になりますが、五社山という山があります。下川内側からの登山道は整備されていて、手ごろに登れる標高600メートルの低山ですが、この山頂に八幡神社があります。
山頂からは、上川内の町並みが一望できて、なかなかの展望が楽しめます。

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写真、左真ん中あたりの広い庭が川内小学校、右端に赤い屋根の校舎のようなものが見えますが、これが旧川内第二小学校、現在は大智学園となっています。村役場は眼下直下なので、この画面には写っていません。

1312五社山

山頂に八幡神社といいましたが、実は八幡神社があるのは山頂の少し下です。登山道は神社からさらに険しくなって最後に見晴らしのいい頂上に出ることになります。
八幡神社は、そのいわれは鎌倉時代までさかのぼります。
武家政権である鎌倉幕府を開いたのは源頼朝ですが、頼朝や室町幕府の足利尊氏などの祖先にあたる源義家は、その通称を八幡太郎といわれておりました。
この八幡太郎を祀って神社としたのが、日本のあちこちにある八幡神社です。川内村にも八幡神社は4社ありますが、いずれも人里に近くあり、このように山のてっぺんにあるのはこの五社山の八幡神社が唯一、ということになります。

1312五社山

そしてここの八幡神社には、八幡太郎、源義家が確かにここへやってきたのだという証拠があるのだといいます。
それが、八幡太郎がのってきた馬のひづめの跡です。つまり八幡太郎は馬に乗ってこの頂上にやってきた、ということです。
かたい岩にどうやったら馬の足跡がつくのか、それに乗ってきたのが八幡太郎の馬である確証はあるのか、そもそもそれは馬のひづめなのか、など、つっこみどころはいっぱいありますが、村の伝説ですから大事にしてあげたいと思います。
どれがひづめの跡なのかぜひ探してみてくださいといいたいところですが、知らない人にはなかなかわかりにくいものかとも思いますので、写真を1枚添えておきます。
ちなみに、山頂の看板のすぐ後ろにあるのは、馬のひづめではなく、昔ここに建っていた鉄塔の名残だということです。おまちがいなく。ひづめの跡は、下の写真の中央のでございます。ほら、馬がここを駆け巡ったように、見えるでしょう?

1312八幡太郎のひづめ

1312五社山