川内村観光協会

高田島諏訪神社

1401高田島諏訪神社

川内村に3つある諏訪神社の、本日の諏訪神社は、高田島の諏訪神社です。高田島は川内村第一区行政区のことで、昔々に親しまれていた集落名です。川内村に3つある諏訪神社ですが、高田島の諏訪神社は下川内の諏訪神社の分霊となっています。なので神主さんは下川内の諏訪神社の神主さんが兼務しています。

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1401高田島諏訪神社

参道は県道112号線からほど近く、手で積み上げたかと思われる階段を上っていきます。入口には木でできた鳥居が建っています。この鳥居は、震災後に新たに建造されたものだそうです。
実はこの参道を通らなくても、裏手から自動車で行くこともできるのですが、やはりお参りの王道は参道からでありましょう。裏手の自動車道は、地元のひとがお歳を召してしまって、参道を上り下りするのがたいへんということで、自動車で行けるように整備されたものだということです。

1401高田島諏訪神社

実はこの神社、天井にすてきな絵が描いてあります。神社の中ですから、外からは見られませんが、これがその天井画です。これがなんと、東京の大学生がやってきて描いていったということで、このへんの話はまたゆっくり調べてみることにします。
ということで、3つの諏訪神社を回って、わたくしはつおの初詣でが終わりました。

下川内諏訪神社

1401下川内諏訪神社

川内村には、諏訪神社が三社あるとお知らせしたので、残る二つのうち、下川内の諏訪神社にも行ってみました。こちらは上川内の諏訪神社よりもさらに古くて、1321年の創建となっています。

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1401下川内諏訪神社

明治初年、廃仏毀釈とときを同じくして、神社の格付けがされました。その際につけられた格付けでは、この下川内の諏訪神社は郷社に分類されています。村のその他の神社の格付けについてはほとんど記録が残っていないのですが、上川内の諏訪神社は村社となっていて、下川内の諏訪神社のほうが格が上ということになっています。

1401下川内諏訪神社

こちら、下川内の諏訪神社は、上川内の諏訪神社とちがって、寺が併設されていることはなく、最初から神社のみのつくりとなっています。
今回は、川内村神社のほんのさわりをお話しました。今年もよろしくお願いします。

上川内諏訪神社

1401諏訪神社上

2014年が明けました。あけましておめでとうといえば、神社です。新年最初のはつおは、諏訪神社に行ってみました。川内村にはいくつもの神社がありますが、その中でも諏訪神社は三社あります。これは上川内の諏訪神社です。創建されたのは1430年ということです。

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日本の社寺信仰として、よその国とちょっとちがうのは、一軒の家庭内に、神様と仏様が同居しているということです。村のみなさんも、どこかの神社の氏子となり、そしてまた寺院の檀家となっています。盆と正月はいっしょに来ることはありませんが、仏様と神様はたいていのおうちでいっしょにいらっしゃいます。
中世以降、日本の神社は天台宗、真言宗などの密教寺の仏教に組み入れられて、神仏混合の時代を作っていったのです。
上川内の諏訪神社は、長福寺のすぐ隣にあって、明治元年以前は長福寺の支配で存在していたのでした。

1401諏訪神社上

明治初年に、いわゆる廃仏毀釈令(はいぶつきしゃくれい)が発令されて、寺院の権力を奪い、あわせて神仏分離となりました。堂社や仏具などが破棄され、川内村にあるふたつの寺院、長福寺と地蔵院(下川内にあります)も取り壊されることになっていました。
しかしこのとき、村民が明治新政府に対して寺院を残してくれるべく嘆願運動をおこない、この努力が実って長福寺、地蔵院ともに取り壊されることなく、現在に至っているのです。
大晦日の夜、川内村に響く除夜の鐘は、ご先祖様の努力の結晶でもあるのです。

1401諏訪神社上