マンサク咲く
春一番に咲くマンサク。
マンサクが咲き始めました。川内村にも春がやってきました。
春一番に咲くマンサク。
マンサクが咲き始めました。川内村にも春がやってきました。
下川内貝の坂地区は、福島第一原発20km圏内にあって、いまだに人が帰ることができません。でも近い将来の帰還に備え、さらにはこの地域全体の先がけとなって、山林の除染の実験が行われています。
上川内字中里には、昔々の道標があります。残念ながら、今となってはなにが書いてあるのかわからないのですが、昔ここを行き来した人の、大事な目印となっていたにちがいありません。
この道標は江戸時代の頃、道路の分岐点に立てられた道路標識です。現代人のわたしが想像するに、右は古道(田村市都路の地名)、左は原(川内村上川内)と書いてあると思うのですが、いかんせん、石が摩耗してしまって、なんと書いてあるのか、さっぱり判別できません。
旅人がここに止まって小休止しながら、長年にわたってこの石の表面をなぞった結果なのかもしれません。たくさんのひとになでてもらって、摩耗した石も幸せな晩年を送っているにちがいありません。
ちなみに中里の読み方は、ナカザトと読んだりナカサトと読んだりするようです。役場で呼ばれているのはナカザトで、地元のひともナカザトと呼びますが、少し離れたところの人たちはナカサトと呼ぶことが多いようです。これは謎のまま、その理由は分かりません。
アサツキともアサヅキともいいますが、当地方ではアサヅキと言われています。田んぼの畔や畑の縁に出ている山菜で、生食できます。春の遅い川内村ですが、春の味覚は育っているのです。
川内村に葬祭場がオープンしました。これまで、葬祭場が近くになくて、不便な思いをしていた村人にとって、安心して村での生活を送れる施設となってほしいと思います。
川内村から、新しい情報発信サイトができました。川内村の景色やイベント情報、文化、サークル活動、お店情報など、情報盛りだくさんの予定です。
どうぞご覧になって、川内村の今の情報を集めてください。
「モリタロウのおしゃべり広場」サイトは「http://www.furusato.fukushima.jp/kawauchi/」です。
このまるい物体はなんでしょう? これはフジの木についているこぶであります。木に寄生する虫こぶではありません。こぶはこぶでもフジ自身が生んだこぶです。
ニホンミツバチの巣から、働きバチが飛び出してきました。3月12日、暦の上ではとっくに春ですが、雪が降ったり凍ったりする川内村、この日はとってもあたたかい日となりました。ミツバチたちも、元気に仕事を始めました。
ミツバチは、冬の間は外に出ることはめったにありません。寒いからです。巣にためたハチミツをなめてなめ、巣の中で丸くなって、春が来るのをじっと待っているのがふつうです。
この日はなんと、15℃もありました。ちょっとばっかりびっくりのあたたかさです。こりゃ春の到来だと思って、ミツバチもお花探しやら用たしやらをしたくて、外に飛び出してきたのでしょう。あと10日もすれば、春の最初の花であるマンサクの花が咲くのでしょうが、さて、彼らはお目当ての花を見つけることができたでしょうか。
わたしの記憶だと、3月の中旬から20日ごろになれば、ハチたちの出入りが始まります。今年はちょっと早かった。
でも、あたたかいのは日中だけで、夜になったら寒くなりました。下の写真は、寒くなってあわてて巣に帰ってこようとして、玄関口で力尽きたお気の毒な働きバチです。あとちょっとだったのに、残念無念です。合掌。
ご存知、イチョウの登場です。イチョウといえば、秋に黄色い葉をつけた様子が目に浮かぶと思いますが、冬にもイチョウは生きています。ご紹介するのは、寒い冬に耐えている、そんなイチョウの姿です。
イチョウは生きた化石といわれています。というのは、現生する種子植物としては最古の部類に入るからということです。イチョウの祖先は、古生代末期のベルム紀に起源を持つ裸子植物ということで、ベルム紀といえば2億年以上も前の話ですから、なんとも木の長い話、いや気の長い話です。
そしてイチョウは雌雄異株で、オスとメスがいます。オスの木から飛んだ花粉はメスの木にたどりつくと、そこで鞭毛をつけた精子となります。イチョウには精子があるんです。ご存知だったでしょうか。
ちなみにイチョウの精子は平瀬作五郎が1896年に発見しました。日本人の世界的発見です。ついでに書いておくと、ソテツの精子は1898年に池野成一郎が発見しました。すごいですねー。
川内村の農産物等直売所、あれ・これ市場では、手作りのお弁当を提供しています。毎日日替わりでの提供となりますが、本日のお弁当は、あれ? akb弁当? これはいったいどんなお弁当なんでしょう? 日替わりだから、こういうお弁当に出会える日も、あるのです。