川内村観光協会

ニホンミツバチ、発進

1403ミツバチ

ニホンミツバチの巣から、働きバチが飛び出してきました。3月12日、暦の上ではとっくに春ですが、雪が降ったり凍ったりする川内村、この日はとってもあたたかい日となりました。ミツバチたちも、元気に仕事を始めました。

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1403ミツバチ

ミツバチは、冬の間は外に出ることはめったにありません。寒いからです。巣にためたハチミツをなめてなめ、巣の中で丸くなって、春が来るのをじっと待っているのがふつうです。
この日はなんと、15℃もありました。ちょっとばっかりびっくりのあたたかさです。こりゃ春の到来だと思って、ミツバチもお花探しやら用たしやらをしたくて、外に飛び出してきたのでしょう。あと10日もすれば、春の最初の花であるマンサクの花が咲くのでしょうが、さて、彼らはお目当ての花を見つけることができたでしょうか。
わたしの記憶だと、3月の中旬から20日ごろになれば、ハチたちの出入りが始まります。今年はちょっと早かった。
でも、あたたかいのは日中だけで、夜になったら寒くなりました。下の写真は、寒くなってあわてて巣に帰ってこようとして、玄関口で力尽きたお気の毒な働きバチです。あとちょっとだったのに、残念無念です。合掌。

1403ミツバチ

イチョウの冬芽

1403イチョウ

ご存知、イチョウの登場です。イチョウといえば、秋に黄色い葉をつけた様子が目に浮かぶと思いますが、冬にもイチョウは生きています。ご紹介するのは、寒い冬に耐えている、そんなイチョウの姿です。

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1403イチョウの冬芽

イチョウは生きた化石といわれています。というのは、現生する種子植物としては最古の部類に入るからということです。イチョウの祖先は、古生代末期のベルム紀に起源を持つ裸子植物ということで、ベルム紀といえば2億年以上も前の話ですから、なんとも木の長い話、いや気の長い話です。
そしてイチョウは雌雄異株で、オスとメスがいます。オスの木から飛んだ花粉はメスの木にたどりつくと、そこで鞭毛をつけた精子となります。イチョウには精子があるんです。ご存知だったでしょうか。
ちなみにイチョウの精子は平瀬作五郎が1896年に発見しました。日本人の世界的発見です。ついでに書いておくと、ソテツの精子は1898年に池野成一郎が発見しました。すごいですねー。

1403イチョウの冬芽

巳待供養の蜂の巣

1403舘屋巳待供養

猪狩さんの舘があったという上川内字舘屋ですが、その角に、こんな石碑があります。巳待供養です。以前に紹介しましたが、雨ごいの神様です。しかし今日は、そんな大切な石碑に居候を始めた連中のことをお話します。

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1403舘屋の蜂の巣

これ、オオカバフ・スジドロバチなる蜂です。スズメバチのように人間を刺したりしない蜂で、なかなかおもしろい蜂です。
おもしろいというのはどういうことかと申しますと、煙突のあるような形状の形の巣を作って産卵します。
親はハマキガやメイガなどの幼虫をつかまえてきて子孫のために巣に持ち込んで、しかしそのあとがおもしろい。親はエサを与えると部屋をふさいでしまい、その後はもう幼虫のめんどうを見ません。育児放棄みたいですが、こちらは大昔からそうやってきた神様の決めた本能です。逮捕されることもありません。
子どもたちは、大きくなると泥を食い破って外に出てくるのです。ちょっとたいへんそうですが、逆に、天敵にやられることは絶対にありませんから、安心この上ありません。そういう意味では、育児放棄なんてとんでもない、究極の過保護育児かもしれません。
さてはて、そしてこの巳待供養ですが、なんとこんなところにも巣を作っているのです。石の上にも三年といいますか、石の上にも泥の巣です。

舘屋、その歴史と由来

1403舘屋

今回は、地名の由来を調べてみることにしました。ここは上川内字舘屋です。舘屋とは、いったいなんでありましょうか。

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舘というのは、お侍さんの陣のことのようで、お城というほどの規模はなし、かといって戦のさなかに臨時で設営する前線基地でもなく、もうちょっとしっかりした、平屋の砦風のお城のことを舘と称すのだといいます。
館という字も、舘と書いたり館と書いたりいろいろのようで、どっちが本当なのかよくわかりません。どちらも本当なのかもしれません。
時代的には戦国時代から江戸時代の始まる前までのお話です。田村地方やいわき地方への道中で、政略的にも重要な場所だったのだと思います。館を構える理由がこのへんにありました。
館の主は猪狩氏といって、当時、広野町の高倉山に城(舘)をかまえて楢葉郡を支配していた大名です。猪狩氏は西暦1600年以前に現在のいわき地方を統治していた大名の岩城氏の家臣でしたが、徳川幕府の成立時に徳川家康の怒りを買ってしまいました。いわき市一帯を支配していた岩城氏の親戚筋であり、茨城の城主である佐竹氏とともに関ヶ原の合戦に参戦しなかったからというのがその理由ですが、戦国時代にどちらの軍につくかというのはむずかしい判断だったのだと思います。
これで徳川の怒りを買った佐竹氏は秋田に転封(転勤ですね)となって、岩城氏はとりつぶしとなってしまいました。行き場のなくなった岩城氏の家臣や親戚筋は秋田氏を頼って今の秋田県に移り住むことになってその後に至っています。
今、双葉地方には、猪狩さんという姓は多くお住まいですが、川内村にも多くの猪狩さんが住んでいます。そしてその中の数戸に、1600年以前のものと思われる家紋入りの鞍を持っている家があるのです。猪狩氏一行が秋田方面に出ていったあと、この地に土着した家来衆の鞍にちがいありません。下の写真は、川内村村史に掲載されている猪狩氏所蔵の家紋入りの鞍です。

1403舘屋の鞍

トチ

1403とち

トチが春を迎える準備をしています。トチは、昔々の貴重な食材でした。

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米作が伝わる以前は、古代の人たちはなにを主食にしていたかというと、そのひとつがトチの実でした。しかしトチの実は、そのままではアクが強くて食べられません。そこでトチモチの登場です。福島県内では、会津地方に行くとよく売られているもので、わたしの大好物でもあります。
そのトチの木は、モチ以外にも街路樹になったり公園木になったりします。フランスはパリのシャンゼリゼ通りにはマロニエの街路樹が並んでいますが、マロニエはトチノキと同一人物です。トチノキが日本語、フランス語になると、マロニエです。
そのトチノキ、冬芽はねばねばしているので、すぐわかります。

1403トチの木

川内村のレーダーサイト

1403自衛隊

川内村には、航空自衛隊の通信基地があります。日本屈指のレーダーサイトを擁し、日本の安全を守っています。

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大滝根山分屯基地という名のとおり、川内村が背にしているあぶくま山系の最高峰、大滝根山の頂上一帯にあります。大滝根山の山頂三角点は、自衛隊の敷地内にあるのです。
ここでは、日本に侵入する弾道ミサイルや航空機に対し、24時間態勢で警戒監視などをおこなっています。
敷地は全域が川内村分になり、独身の隊員はここに駐在して寝泊まりをしているということですが、標高1000メートル以上あるところですから、冬は厳しい気候にさらされます。航空自衛隊WEBサイトによると、過去10年間の2月の平均気温は-5度、最低気温は-18度となっています。

1403自衛隊

放射能検査室新築工事

1403検査室工事

上川内前谷地地区で、こんな工事をやっていました。食品放射能測定場建設委託事業とむずかしいプロジェクトの名前がついていますが、食品の放射能検査をして、村人の安全を守ろうという施設です。

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これまで、川内村には食品放射能測定場が7ヶ所ありました。第一区から第七区まで、各行政区に1ヶ所ずつで、それぞれ各地区の集会所に間借りするかたちで運用されていました。第八区は、いまだ居住ができず耕作もできないので、検査場も開設されていません。
これが4月から再編成されて、村に4ヶ所に集約されることになりました。第一区、第三区、第五区、第六区の4ヶ所です。そして今度は、集会所の間借りではなく、専用の検査室を設けることになり、その新築工事が、これです。第五区は集会所を新築したところで、取り壊した小学校の教員住宅が残っていたのでそれを使うことに。第六区は集会所をふたつ持っているので、そのひとつが検査場となります。残る二つは、新たに建物を新築して検査を行います。
検査場は、基本的には検査機やコンピュータが置ければいいのですが、現在の検査方法では食品を均一化させる必要があるため、液状にしたりジューサーにかけたりといった台所仕事も必要になります。ということで、お風呂こそありませんが、そこそこの一軒家ができ上がることになるわけです。

1403検査室工事

とっかん工事?

1403雪寒工事

なにかの工事をしています。なんの工事なのでしょう? 文字がはがれてよくわからなくて、看板の前でしばし悩んでしまいました。

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どうやらこれ、とっかん工事ではなく、雪寒工事と書いてあったようです。折檻工事ではありませんよ。そんな恐ろしい工事はしてもらいたくありません。石棺工事は原発事故の収束のためにやらなければいけないはずですが、まだ始まっていません。いずれにしろ、この工事とは関係がありません。
看板を読んだまま理解すれば、凍結防止剤を自動的に散布する機械の設置工事をしているようです。凍結防止剤は塩化カルシウムを使うことが多いようで、すでにこういう機械が設置されている地区もあるということですが、どんな工事で、どんなものができあがるのか、そして一番興味深いのは、この機械ができ上がるのと、春になるのはどちらが早いか、ということです。

1403雪寒工事

かしわの冬芽

1403かしわ

かしわといえば、かしわ餅やらかしわ手やらと、縁起のいい表現をされることが多い「かしわ」。そのかしわが木になったのがこの「かしわ」です。

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春になって芽が出るまで、前の年につけた葉が残っているのが特徴で、それゆえに「代が続く」「家系が代々続く」といわれ、家を守るため、庭にはかしわの木を1本植えておくといいといわれています。
こんな話、ご存知でしたか? そしてあなたの家のお庭には、かしわの木が植わっていますか?

1403かしわ

映画「家路」

1403家路1

「家路」という映画が公開されています。2011年3月11日の東日本大震災と原発事故の影響で立ち入りができなくなった地域での家族の物語です。松山ケンイチさん主演、内野聖陽さん、田中裕子さん、安藤サクラさんらが出演で、日本の原風景をテーマとしています。
この映画は、川内村が深くかかわっているのでした。

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映画が原風景として選んだ実際の土地は、川内村の秋元美誉氏の田んぼとおうちでした。美誉さん(よしたかさん。ちなみに川内村では、秋元さんや井出さん、猪狩さん、遠藤さんなど、同じ姓の人が多いので、人を呼ぶときには姓ではなく名前で呼ぶことが多いです。秋元美誉さんも、秋元さんではどこの秋元さんだ?と聞きただされてしまうことが多いです)は、震災後の2011年に、作付け禁止となっている中でお米作りを再開しました。美誉さんのお米は、2007年に天皇陛下に献上されたこともあります。由緒正しい、反骨農家です。

1403家路2

ご自宅は、川内村きっての旧家で、まさに農村の原風景たるたたずまいがそこにあります。美誉さんが2011年に作ったお米はごく一部を放射能検査した以外はすべてを破棄することになり、そして2012年には県の指定による検査用のお米の生産をし、満を持して2013年の今年、3年ぶりに食べられるお米の生産をするまでになったのでした。

1403家路3

美誉さんのお米作りには、特に震災以降、種まき、田植え、稲刈りと、首都圏からお手伝いに来てくれる人がいます。最初は被災地のお手伝いにやってきて、美誉さんの人柄にふれ、翌年以降はまるで里帰りをするように、美誉さんの笑顔を見に帰省してくる皆々です。被災地のボランティア活動と思って来はじめたのに、美誉さんに元気をもらい、励まされて帰途についているという人も少なくありません。
映画は、そんな美誉さんの農業とのかかわりをなぞるようにストーリーが進んでいきます。

福島県いわき市のポレポレいわきでの舞台挨拶では松山ケンイチさん、田中裕子さん、久保田直監督の舞台挨拶のあと、美誉さんと奥様のソノ子さんが登場し花束の贈呈を受けられました。
映画にかかわったみなさんにとっても、美誉さんと川内村は、新たなふるさととなったような、そんな映画ができ上がっています。
川内村の他、富岡町、双葉町など、警戒区域となった福島県の町並みも舞台となっています。福島に思いをはせながら、どうぞご覧ください。

●舞台挨拶の写真は「家路」Facebookに掲載されていたものです。Facebookには、インタビュー記事やテレビ番組の紹介などもされていますので、ぜひそちらもご覧ください。→「家路」Facebook