川内村観光協会

舘屋、その歴史と由来

1403舘屋

今回は、地名の由来を調べてみることにしました。ここは上川内字舘屋です。舘屋とは、いったいなんでありましょうか。

舘というのは、お侍さんの陣のことのようで、お城というほどの規模はなし、かといって戦のさなかに臨時で設営する前線基地でもなく、もうちょっとしっかりした、平屋の砦風のお城のことを舘と称すのだといいます。
館という字も、舘と書いたり館と書いたりいろいろのようで、どっちが本当なのかよくわかりません。どちらも本当なのかもしれません。
時代的には戦国時代から江戸時代の始まる前までのお話です。田村地方やいわき地方への道中で、政略的にも重要な場所だったのだと思います。館を構える理由がこのへんにありました。
館の主は猪狩氏といって、当時、広野町の高倉山に城(舘)をかまえて楢葉郡を支配していた大名です。猪狩氏は西暦1600年以前に現在のいわき地方を統治していた大名の岩城氏の家臣でしたが、徳川幕府の成立時に徳川家康の怒りを買ってしまいました。いわき市一帯を支配していた岩城氏の親戚筋であり、茨城の城主である佐竹氏とともに関ヶ原の合戦に参戦しなかったからというのがその理由ですが、戦国時代にどちらの軍につくかというのはむずかしい判断だったのだと思います。
これで徳川の怒りを買った佐竹氏は秋田に転封(転勤ですね)となって、岩城氏はとりつぶしとなってしまいました。行き場のなくなった岩城氏の家臣や親戚筋は秋田氏を頼って今の秋田県に移り住むことになってその後に至っています。
今、双葉地方には、猪狩さんという姓は多くお住まいですが、川内村にも多くの猪狩さんが住んでいます。そしてその中の数戸に、1600年以前のものと思われる家紋入りの鞍を持っている家があるのです。猪狩氏一行が秋田方面に出ていったあと、この地に土着した家来衆の鞍にちがいありません。下の写真は、川内村村史に掲載されている猪狩氏所蔵の家紋入りの鞍です。

1403舘屋の鞍

緯度37.31371075605345 経度140.77222108840942

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