川内村観光協会

下川内諏訪神社

1401下川内諏訪神社

川内村には、諏訪神社が三社あるとお知らせしたので、残る二つのうち、下川内の諏訪神社にも行ってみました。こちらは上川内の諏訪神社よりもさらに古くて、1321年の創建となっています。

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1401下川内諏訪神社

明治初年、廃仏毀釈とときを同じくして、神社の格付けがされました。その際につけられた格付けでは、この下川内の諏訪神社は郷社に分類されています。村のその他の神社の格付けについてはほとんど記録が残っていないのですが、上川内の諏訪神社は村社となっていて、下川内の諏訪神社のほうが格が上ということになっています。

1401下川内諏訪神社

こちら、下川内の諏訪神社は、上川内の諏訪神社とちがって、寺が併設されていることはなく、最初から神社のみのつくりとなっています。
今回は、川内村神社のほんのさわりをお話しました。今年もよろしくお願いします。

上川内諏訪神社

1401諏訪神社上

2014年が明けました。あけましておめでとうといえば、神社です。新年最初のはつおは、諏訪神社に行ってみました。川内村にはいくつもの神社がありますが、その中でも諏訪神社は三社あります。これは上川内の諏訪神社です。創建されたのは1430年ということです。

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日本の社寺信仰として、よその国とちょっとちがうのは、一軒の家庭内に、神様と仏様が同居しているということです。村のみなさんも、どこかの神社の氏子となり、そしてまた寺院の檀家となっています。盆と正月はいっしょに来ることはありませんが、仏様と神様はたいていのおうちでいっしょにいらっしゃいます。
中世以降、日本の神社は天台宗、真言宗などの密教寺の仏教に組み入れられて、神仏混合の時代を作っていったのです。
上川内の諏訪神社は、長福寺のすぐ隣にあって、明治元年以前は長福寺の支配で存在していたのでした。

1401諏訪神社上

明治初年に、いわゆる廃仏毀釈令(はいぶつきしゃくれい)が発令されて、寺院の権力を奪い、あわせて神仏分離となりました。堂社や仏具などが破棄され、川内村にあるふたつの寺院、長福寺と地蔵院(下川内にあります)も取り壊されることになっていました。
しかしこのとき、村民が明治新政府に対して寺院を残してくれるべく嘆願運動をおこない、この努力が実って長福寺、地蔵院ともに取り壊されることなく、現在に至っているのです。
大晦日の夜、川内村に響く除夜の鐘は、ご先祖様の努力の結晶でもあるのです。

1401諏訪神社上