川内村観光協会

国見太子堂の庚申塔

高さ157cm

庚申は「かのえさる」の日で、60日に一度めぐってくるが、かのえさるの年というと60年に1度になる。
庚申の夜に眠ると三尸の虫が体内からぬけ出て、天帝にその人の罪を知らせるので命を奪われる。だから、この夜には近隣の人たちが集まって、眠らないで夜を明かした。
川内では、この講中は全く姿を消してしまったが、石塔よりするとかつては下川内の町・小田代・宮渡・宮下で行われたことがあり、上川内では向原・遠上・中島の人たちが講を組み、三組合同の庚申塔をたてた。中でも遠上では、若者組がこの塔を造立している。
庚申は道教より出たものであるが、わが国では早くから広まり、枕草子などにも書かれている。
庚申の夜は、夜を徹して語り明かしたので、普通の日に面倒な話になると、「その話は庚申の晩に」といわれる程、江戸時代になると庚申信仰は庶民の間に広まった。
庚申=猿田彦神という観念から、道案内・旅行の神とされたり、猿の信仰とも結びついて猿を神使とする山王大権現と同一視されたりしたのである。従って馬の守護神として、眼病平癒の祈願としても信仰された。このように、庚申は種々の信仰と重なって庶民の間に伝わったのであった。
川内には、宝暦5(1755)年までの庚申塔30基を有するが、どのような祈願をこめて造立されたものであろうか。
上川内字久保の庚申塔は大正14(1925)年に造立されているが、ウブズナ様として祀っているらしい。また、川内村の庚申塔を見ると、台座に三猿あるいは二猿を描いたのは数基あるが、青面金剛像は一基もなかった。
向原・遠上・中島講中で造立した庚申塔について、古内トミ氏は次のように語ってくれた。
私ら幼い頃、お爺さんにだっこしていて他の人に話しているのを聞いたことですが、みんな虫を殺したので、その供養のためにたてたそうです。旧暦10月10日っていうと刈り上げ祭りで、庚申様のお祭りだっていうことはわかってました。10月10日っていうのとお正月は、こんな大きなお供え餅を親戚に配って歩いたんだけども、交換のようだったね。お嫁さんの休み日でした。

上川内の国見太子堂の庚申塔

緯度37.3514613 経度140.7890309

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