取り壊し中の川内第二小学校
川内村には、現在小学校が一つと中学校が一つありますが、現在の小学校ができる前は、村には3つの小学校がありました。そのうちのひとつが、川内第二小学校でした。その川内第二小学校が、このたび取り壊されることになり、現在、取り壊し作業が進んでいます。
第二小学校は、平成16年(2004年)3月に閉校になったあと、平成18年(2006年)4月に大智学園高等学校として再出発しました。大智学園は通信制の普通高校で、ここを本拠地として新宿区にも校舎を持ち、生徒さんたちは東京と川内村を行き来をしながら高校生活を送っていました。
川内第2小学校は、上川内小学校として明治年間に開校し、昭和39年(1964年)6月に今の校舎ができあがっています。
明治6年に上川内字沢42番地(今の大智学園から少し離れたところ)に開校した上川内小学校は、男37人、女7人のあわせて44人が就学しました。生徒数はその後激増し、昭和24年には459名を数え、6学年で10学級を持つ大きな学校に育ちました。やがて児童数は減少し、昭和45年には220名、昭和48年に211人、47年に181人、49年に139人となり、閉校となった平成16年3月は64名でした。
第2小学校は、2011年3月の震災時に大きな損壊を受けて、修復がむずかしいことにより取り壊しが決まったものです。
体育館は校舎に遅れること2年の昭和41年3月に完成しましたが、現在体育館は手作り家具の四季工房さんがそのまま使っています。こちらは地震の被害がごく少なかったため、そのまま残されることになっています。
たまたま、天山文庫方面から川内第2小学校方向を見た写真がありました。下の写真がそれで、2013年5月に撮影したものです。校舎の端の部分のモルタル壁が落ちてしまっているのがわかると思います。
川内村で最も早く開校した小学校ですが、今、ひっそりとその姿を消そうとしています。
最後に、昭和31年9月に制定された校歌をご紹介します。川内村の小中学校の中では一番早く校歌が制定されたため、唯一草野心平作詞でない校歌が、この川内第二小学校校歌です。
作詞:作山美八
作曲:紺野五郎
一
朝ぎり 晴るる 大滝根
夕月 うかぶ 木戸川よ
平和の里に今日もまた
歓びの歌 わき立たん
ああ 川内第二小学校
二
緑の野辺の 涼風に
仔馬(こま)のむれの むつましさ
われらも共に 手をとりて
学びの庭に いざ むかん
ああ 川内第二小学校
三
嵐も雪も のりこえて
やがては国の 柱ぞと
希望も高く 朗らかに
若木の如く 伸びゆかん
ああ 川内第二小学校
こんばんは。
Twitterにて祖父と叔父が大工の棟梁をさせていただいた校舎が解体されると知り、このサイトに来ました。もう築50年なのですね。
震災の年にいわきのボランティアと、祖父母の墓石を直しに川内にお邪魔した際には、お風呂を快くお貸しいただきありがとうございました。そちらも大変な中、友人共々夕食までご馳走になり、本当にお世話になりました。
また富岡まで常磐道が復旧次第遊びにゆきます!