川内村観光協会

牛馬供養塔の道しるべ

1403牛馬供養塔

供養塔に、道案内がついています。まさに一石二鳥の供養塔です。

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石に彫られている五社というのは、昭和10年代まで、田村郡はもとより双葉郡内からも参拝者がいておおいににぎわっていたという五社八幡神社のことです。五社八幡神社は五社山の山頂近くにあって、五社山へは下川内側からと上川内側と、2本の登山道があります。この道標は、上川内側の登山道の入り口にあるものです。
圧倒的多くのひとは下川内側から登山をされるのですが、立派な道標が建っているところを見ると、こちらからの登山道も、おそらくかつてはにぎわいを見せていたことだと思います。
この牛馬供養塔の建立は大正7年9月となっています。川内村へは炭の買い付けにやってきた人が多いと聞きますが、五社八幡神社参拝を目指す方々も少なくなかったのかもしれません。
道標には「よいまち」と読めますが、これはにいまちです。現田村郡小野町のことです。現在ではJR磐越東線に、小野新町という名前が残っています。

1403牛馬供養塔

中里の庚申供養塔

1403庚申供養

庚申はこうしんと読みますが、庚(かのえ)と申(さる)、十干と十二支の組み合わせの60のうちのひとつ。日本には庚申信仰というのがありますが、なかなか深い歴史背景があるようです。

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かのえ・さるの神様は、猿田彦神であります。いわゆるお祭りの時に、鼻の高いお面をかぶり、一つ歯の下駄を履き、祭りの先導をする者のことを言うのです。
かのえ・さるは、60年に1度、あるいは60日に1度巡ってきます。かのえさるの日に眠ると、三尸(さんし)の虫が体内から抜け出て、天帝にその人の罪を知らせてしまうと信じられていました。天帝に罪を知られてしまうと命を奪われるので、かのえ・さるの日には眠らないで夜を明かしたということです。
庚申の日に寝ないで一晩をすごす儀式は、やがて修業のような意味合いを持ち、庚申講と呼ばれるようになりました。この庚申講を3年、あわせて18回続けた記念に建立したのが、庚申塔だということです。
川内村の今に残るこの庚申塔。建造したのはどんな人だったのでしょうか? その人が天帝に知られると困る悪さとは、さて、どんなものだったのでしょう? 大きなお世話ですが、気になってしまうところです。
ちなみに次のかのえ・さるの年は、2040年になります。

1403庚申供養