川内村観光協会

モリアヲ蛙に感謝

矢内俊晃和尚の蛙への感謝の記

 矢内俊晃長福寺和尚が、心平先生と出会ったときのことをつづった手記が残っています。郵便局長宛となっているこの手記は、活字となっていろいろなところで紹介されていますが、その冒頭にあるのがこの短い感謝のことばです。
 第1回読売文学賞を受賞した蛙の詩人を熱心に我が村の沼に誘い、ようやくかなえられた詩人との出会いへの感謝を、和尚はこんなふうに蛙にささげているのです。

住職の自転車

長福寺の住職の自転車

 草野心平先生とかわうち村をつないだのは、村一番のお寺である長福寺の住職、矢内俊晃さんでした。その住職が生前に愛用した自転車が、長福寺の山門に、そのままの姿で残されています。年々、錆が進んでいきますが、それもまた、自然の流れにまかせた姿かもしれません。

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長福寺の住職の自転車

 川内村史には、心平先生が散歩をしている写真が掲載されています。’53年撮影のもので、心平先生が初来村した当時のものと思われます。心平先生の歩く先を、矢内和尚がいっしょに歩いていますが、和尚が押しているのが、この自転車です。
 矢内和尚は’80年3月に死去、心平先生も88年10月27日、85歳で旅立ちました。在りし日の主人たちを失った自転車は、その日から数えてもすでに30年、錆が進みながらも、今でも和尚と心平先生が散歩に出かけるのを待っているかのように、山門のかたわらにたたずんでいます。

昭和28年村内を散歩する草野心平先生

辻まことさんのお墓

長福寺にある辻まことさんのお墓

 辻まことさん(本名辻一)は、画家であり詩人。また山岳家でもあります。1913年9月20日生まれ。草野心平先生の大事な友人でもありました。
 現在は、奥様といっしょに、長福寺のはずれの小さなお墓に眠っています。

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 山岳家としての辻まことさんのモットーは「ヒマラヤよりウラヤマ」。偉大な登山家が目指す名だたる名山もいいけれど、彼が愛したのは、家のすぐ裏の裏山だったのです。命をかけて名声を得るよりも、日本中のそこここにある裏山を散策しながら、季節の折々を楽しむ。それが辻まことさん流の山の楽しみでした。中でも、草野心平先生に誘われて訪れたかわうち村のウラヤマは、辻まことさんのイメージにぴったりのウラヤマだったようです。
 辻まことさんは、日本のダダイズムの中心的人物である辻潤さんと、婦人解放運動家で関東大震災時に虐殺された伊藤野枝さんを両親としています。それだけに、その朴訥とした文章や絵の趣とは裏腹に、ご自身の人生は波乱万丈でした。最後は胃ガンが思うように癒えず、愛用のリュックサックの紐で自殺されたということです。
 遺書には、墓をつくるなと残されていましたが、翌年、まことさんの病床に尽くした奥様も他界され、それを機に、娘さんと草野心平先生が相談し、お気に入りのかわうち村長福寺にお墓をつくることになりました。
 立派なお墓ではありません。石を置いただけの質素なお墓です。草野心平先生をかわうち村に呼んだ長福寺の矢内俊晃住職が、川で見つけてきた自然石に、心平先生が墓標の文字を書いています。お墓は、その矢内和尚のお墓の隣に、ひっそりと。