川内村観光協会

精九郎檀とブナ

1307精九郎

現在では、川内村と田村市の境ということになるのですが、田村市滝根町和田山に、推定300年くらいのブナの大木があります。その大木の周囲に、無数の小石が置いてあります。それが、精九郎檀です。田村市指定の天然記念物となっています。

1307精九郎

それは昔々、別の伝説によると江戸時代のことではないかと思われるのですが、川内村と神俣村(現在の田村市滝根町)とで境界争いが起こりました。その際、正しい境界はここであると示したのが、精九郎という男でした。その証言によって、争いは神俣村側が優位に立つことになって、川内村側は負けてしまったのでした。
しかしこの精九郎という男、実は川内村の男でした。川内村の男のくせに川内村が不利になる証言をしたということで、精九郎は首だけ地上に出して生き埋めにされてしまったということです。
精九郎が埋められながらに生きている間は、川内村と神俣村、両方の村から食物が運ばれていました。その際、精九郎は「川内村と神俣村の両村が見えるところに埋められて満足だ。死んだら大きい石碑を建ててくれ」と言っていたそうです。
やがて精九郎は絶命することになるのですが、しかし山の頂上は不便なため、石碑を建ててくれる人は現れません。そこで両村の人々は、精九郎の霊をなぐさめるため、行く人来る人せめてもと、小石を供えていったのだというのが、精九郎伝説です。
この伝説は、あらましが現地に残されていますが、なぜか一部が消えてしまっています。まるで検閲を受けて消されてしまったかのようですが、そんなことはないはずです。一部が書き換えられているのは、滝根町が合併して田村市となったからだと思われます。

1307精九郎

ブナの大木は推定樹齢およそ300年。幹まわりは3.5m、高さ10.2m、全体の枝張り19.3mとなっています。川内村の方角である西方向からの強い風に耐えるように、枝全体が傾いて立っているのが特徴です。
このブナが立っているのは、川内村と田村市との境界のほんの少し田村市よりです。つまりこの旧跡は田村市の敷地にあります。
精九郎が証言した境界は、どうやらそれが正しい境界だったようで、川内村側は負けるべくして負け、精九郎は正直者だったということになります。
正直者が生き埋めに去れてしまうのですから厳しい世の中だったということになります。しかしこれは伝説ですから、後世の人がねりあげたお話である可能性が高いです。田村市(神俣村、あるいは滝根町)の旧跡ですから、伝説の想像主はそちらの方だったのではないでしょうか。
当然、精九郎檀について川内村の歴史は残されていないのですが、わたしとしては、これが川内村の伝説なら、川内村の精九郎が生き埋めになるには、なにか隠れた秘密があるような気がしています。ブナが川内村より神俣村側に立っているあたり、もしかすると精九郎の証言はまちがいで、正しい境界はブナのところだったのではないかというのはどうでしょう?
現在は滝根小白井ウインドファームという風力発電所となっているこのエリア、精九郎にすれば石碑でなく、もっと大きな風車に見守られることになってしまい、びっくり仰天ではないかと思います。
この地へのアクセスも、滝根側から行ったほうがはるかに容易ですが、川内村からも来られないことはありません。
肝心の檀(お墓という意味と思われます)は薮に包まれてしまい、たくさんの小石が積まれている様子も、この季節ではよく見せてもらえませんでした。大きな石碑も建ててもらえず、草ぼうぼうのところで眠る精九郎という川内の男は、つくづくかわいそうだなと思いますが、いつか川内村側から書いた精九郎伝説異聞が登場したらおもしろいものです。
薮の中に小さな祠がありますが、精九郎は小さな祠から、なにを見つめているのでしょうか。

1307精九郎

緯度37.327205 経度140.719153

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